教育は未知にあふれている

ソクラテスのたまご

2019.04.04

【不登校・体験談】「学校に行かない自分を認めて欲しかったあの頃。今は不登校でよかったと思っています」

画家・イラストレーターのTさん。海外でも高い評価を受ける彼女の不登校は、保育園時代から始まりました。なぜ行きたくないのか理由は自分でもよくわからなかったと話す彼女に、当時はうまく表現できなかった本当の気持ち、そして、社会人になった今改めて思う“学校”“不登校”について話を聞きました。

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親に分かってもらえないことがつらかった

北関東の中都市に生まれ、兄とふたりの弟とともに育ったTさん。不登校(園)が始まったのは保育園年少の頃、なぜ保育園が嫌なのか理由も分からず、とにかく家に帰りたいという一心だったそうです。

 

「(保育園に)行きたくなくて親の車の座席にしがみつくんですが、親は力ずくで引きはがして保育士さんに引き渡すんですよね。『行きたくない気持ちをどうして分かってくれないの?』と悲しかったことを覚えています。保育士さんも私がなんとか来れるようにと気遣ってくれるんですが、それが逆にプレッシャーでした」。(Tさん、以下略)

 

その後、小学校へ入学。

 

「1年生は半分ぐらい登校して、友だちもいました。ただ、周りと同じことをしなければならないというのが苦痛だったんですよね。だんだん行かなくなっていき、2,3年生までは行ったり、行かなかったり。行くとしても、保育園時代と同じように親が強引に車に乗せて登校させるという方法で保健室登校でした」

 

そして、4年生になった頃、両親から「学校だけがすべてじゃない。行きたくないなら行かなくてもいい」と言われたそう。

 

「それまでは、いくら私は行きたくなくても“学校へ行く”という選択肢しかありませんでした。でも、このとき初めて“行かなくてもいい”という選択肢を親が認めてくれて気持ちが楽になりました」。

 

その後、6年生までほぼ登校せず、勉強は3歳上のお兄さんに教えてもらい、日中は家事を手伝う日々。

 

「何もしないで家にいることもつらかったんですよね。自分は親にとって恥ずかしい存在だろうからなるべく人に会わないようにしようと考えていたし、水仕事で手が荒れたり、あかぎれすることでぐらいしか生きてる実感も存在意義も感じることができませんでした」

 

ただ、不登校児などが通う「青年センター」と呼ばれていた施設では楽しい時間を過ごすことができました。

 

「運動したり、絵を描いたり、読書をしたり。学校とは違い、それぞれが自由にやりたいことをできる環境だったので楽しかったですね。いじめや不登校で心に傷を負った子も多かったのでつらさを分かり合える居心地のよさもありました」

 

 

 

中学校はほぼ行かず高校は通信制へ

しかし、信頼していた先生が移動になるなどの理由で青年センターへも中学に上がるころから行かなくなったTさん。中学校は、3年生のころに数カ月通ったのみで卒業へ。

 

その後は、当時マンガ家を目指していたこともあり、マンガの描き方も学べる通信制高校へ進学。ですが、2年生の途中で中退し、バイト漬けの日々が始まりました。

 

絵に没頭しているときは、全部忘れられたんですよね。でも高校が1年生はデッサン中心の授業でマンガについて教えてもらえず、マンガを学べないなら通う意味がないと思って辞めちゃいました。親は心配はしていましたが、反対はせず好きなようにさせてくれたのでありがたかったですね。上京したいと思っていたので、18歳まではマンガを描きながらファミレスでバイトをして過ごしました」。

 

 

社会人になり苦手な対人関係の克服へ

上京後は、アニメやマンガの専門学校へ通い、技術を学ぶうちにイラストワークへ興味が移り今の道へ。一方で、対人関係の苦手意識を変えたいという思いでリンパマッサージの仕事も始めるように。

 

「小学生のときから、学校生活に適合できない自分は欠落人間だと自分を責めて生きていました。そんな自分をいつか変えたいとずっと思っていたんです。それまでも接客業はしていましたが、接するといってもマニュアルの範囲内。より一歩踏み込んで人と距離を縮めることができるようにマッサージの仕事を始めたんです」

 

ずっとひとりで抱え込んでいたという自己否定感。小中高時代、親に相談できなかったのかと聞くと、「親に話しても困らせて泣かせるだけだと思って言えませんでした」と話します。ただでさえ、不登校という事実で困らせているのに、悩みを打ち明けてさらに困らせることはできないと思っていたそうです。

 

 

今は笑顔で不登校時代のことも話せるように

学歴上は高校中退となっているTさん。就職などで困ったことはないかと聞いてみると…。

 

「不登校や学歴が足かせになったことはありません。面接では自分から不登校だったことを話すようにしています。ほかの人にはあまりない経験なので、興味をもって聞いてくれるし大切な私の物語だと思って話しています。あと、実際に働き始めたあと、周囲の人にとっては常識的なことでも、私は知らないようなことがあるんです。そのとき、隠しているほうが困るし、隠し続けるのもつらいんですよね」

 

また、不登校だったことを後悔はしていないと話すTさん。

 

「さんざん悩んだぶん、人の気持ちを察することはできるんじゃないかと思います。悩みや相談には親身になってのることができる大人になりました。学歴がなくてもやりたいことができたら、そのとき資格を取るなり努力すればいい。もし、今、不登校で悩んでいる子どもがいたら『学校に行かなくても生きてる大人がいるよ』と話したい。本人やご両親の中にある“学校は行かなきゃいけないもの”という既成概念を取り払って気持ちを楽にしてあげたいですね」

 

 

 

改めて考えた不登校になった理由

現在、コーチングの勉強も始めているという彼女。改めて不登校だった理由を考えたところ、シンプルな答えにたどり着いたと話します。

 

「私は母と離れるのが嫌だったんだと思います。私がちょっと変わった子だったこともあってか、幼少期からあまりスキンシップがなかったように感じるんです。だからこそ家で母の近くにいたかったのに家から連れ出されて保育園というところに置いて行かれたと思ってしまったんじゃないかと思うんです」

 

大人に“置いて行かれた”という思いで始まった不登校(園)が、(一緒にいたいという気持ちを)“分かってもらえない”という経験でさらに根深いものになったのかもしれません。

 

「私は、学校に行けない自分を認めて欲しかったんですよね。だけど、実際は怒られ、責められ、心の中で生まれてきたのが間違いだったと思っていました。だから、もし、ご家庭に不登校の子がいたら、家に居場所を作ってあげてほしいです。『学校なんて行かなくていいよ』と抱きしめて、気持ちが変わるまで待ってあげてほしいと思います」

 

 

「ソクラテスのたまご」編集部

「ソクラテスのたまご」編集部

教育に関する有識者の皆さまと一緒に、子を持つお父さん・お母さんでもある「ソクラテスのたまご」編集部のメンバーが、子どものために大人が知っておきたいさまざまな情報を発信していきます。

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