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2023.09.28

教育ママになれない私が、子どものためにできること

インスタグラムで育児にまつわる情報を発信している「ソクたまアンバサダー」。そんなアンバサダーのみなさんに、子育てや教育について、それぞれの視点で執筆してもらうコラムです。今回は、知育インスタグラマーとして活躍中の、論文ママさいとうさんの子育てコラムをお届けします。

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「知育」

なんて頼りになる響きだろう。これさえやっておけば将来安泰だと言わんばかりの説得力を持つこの言葉。

そのうえ「教育ママ」と言われるよりも「知育ママ」と言われたほうが幾分かマイルドになる気がする。絶妙だ。この言葉と概念を生んだ人に拍手を贈りたい。

思えば1~2歳の頃が一番、息子の知育に力を入れていた。毎日同じことの繰り返しの育児の中で、「息子を賢い子に育てる」という使命感が私のモチベーションとなっていた。

将来のため、と思いながらせっせとストローを切り、ぽっとん落とし(容器に穴をあけて、そのなかにストローやたまを入れる指先知育)を自作する日々。もちろん発達そのものは言うまでもないが、息子の知的成長が見られることが何よりも楽しかった。

夜な夜な言葉カードを作ったり、絵本の読み聞かせにも命をかけていた。

1歳後半になった頃からは、ベビー公文に通い、そこで先生に勧められるがままパズルをやらせ、ワークをさせ、九九を覚えさせた。まだインスタの知育アカを始める前の話である。

ベビー公文の先生の「この子は賢い!どんどんさせてあげて!」というお決まりの営業トークにいい気になった私(カモ)は、息子本人が望まぬことを散々やった。

最初こそ息子は(この年齢の幼児特有の)私が教えたことをスポンジのように吸収していった。だけど、4歳になった今はどうだろう。

元々好きじゃなかったのか、私の下心が透けて見えていたからか、パズルはもう1年以上やっていない。大量に買ったそれらは、狭いおもちゃ棚の貴重なスペースを食い潰すだけの無益な遺物と化し(もう捨てようかな)、ワークは正しい鉛筆の持ち方を教えさせようとしたがために「これは嫌!」と頑なに拒否された。

教室で漢字盤をした時、「やらない」と息子が言った事に対して先生が「やらなきゃだめ!」と怒った事が決定打となり、結局1年も経たずにベビー公文を去った。

「たとえ嫌がっても学習させる」という方針に、まず私がついていけなかった。(もちろんこの方針は公文がというより、先生個人によりけりだと思うし、向いている子にとって公文のシステムは素晴らしいものだと今でも思っている)

後に分かったことだが、私がやっていたこれらは「知育」とは違う。

知育の定義とは0~6歳までの幼児期に、創造力・思考力・判断力・自立心・愛着・感性……など人格の根源となるものを育むことである。

その中でも更に細分化されるほどに選択肢もやり方も、何を「知育」と呼ぶかすら曖昧で、特に「知育」を意識していない家庭でも自然と取り入れていたりする。(言えばお散歩も知育)私がやっていたのは「早期教育」に近かった。

そして4年も育てていると、息子のことはともかく、自分のことは見えてくる。

「知育」はやがて「教育」へと形を変えるが、「知育」の段階では大して意味を持っていなかった「我が子の賢さ度合」も「教育」となれば現実みを帯びてくる。

薄々気付いていた事だが、最近やっと確信に変わった。私は「教育」が苦手だ。

知育は楽しい。今でもそれは変わらずそう。息子の興味に添って一緒に何かを調べたり、体験したり、絵本を探したり。

しかし「教育」となるとどうだ。途端に雲行きが怪しくなる。遊びの延長のような「知育」とは違い、「教育」ってガチである。

まず「教育ママ」にも大きく2種類ある。ひとつは子供の興味関心を引き出し、自然と学習意欲に繋げていくタイプ。

いわゆる「子供の頃、親から【勉強しなさい】って一度も言われませんでしたね~(東大理Ⅲ卒)」と成人した我が子に語られがちなスーパー優秀ママだ。

しかしこれはご存じの通り、「勉強しなさい」とわざわざ言わずとも自然と生活の中に勉強の導線が組み込まれている(幼少期からの親の手ほどきによって)パターン。

そして2つ目のパターンは、子どもと二人三脚になり、時には厳しく、時には自らも血反吐を吐く思いをしながら強い意志と情熱を持って受験戦争に挑むタイプ。

人によって「教育熱心」と「教育虐待」の瀬戸際を綱渡りするパターンも少なからずあるようなので、これが良いか悪いかの評価は二分されがち。(結果によっても変わる)

自分はどちらにもなれる気がしない……。

まずスケジュール管理というものが恐ろしく苦手である。その上自分ではない人間(息子)のモチベーションを上げたり、辛抱強く見守ったり、そんなことを器用にやれる人間ではない。

きっと子どもが幼少期からそういったことを頑張り続けられるお母さんは、熾烈を極める受験戦争だって生き抜くポテンシャルを持っているのだろう。

自分にそれがあるとは到底思えない。だって、息子にパズルひとつやらせられない親なのだ。下手したらその場の怒りに任せ「なんでそんなこともできないの!」などと言って息子の自尊心をボロボロにしてしまう可能性だってある。かと言って共に走り続けられるほどの情熱もない。

この時点でおよそ5年後にスタートするだろう中学受験勉強(未定)を乗り越えられる気がもうしないのだが……。

「私に優れた教育ママの才能はない」

その事実は私の中で長らくスルーされてきた。なぜなら私はSNSで「教育」について発信しているのである。

世の中には親からの働きかけで難関大学を卒業した子や、芸術の道に進んだ子もいれば、親から教育的干渉を受けなかったからこそ、自らの道を切り開いた人もいる。

もしかすると、親が干渉することで育つ才能もあれば、親が干渉することで潰れる才能もあるのではないか。私が一番恐れているのがここである。自身が勉強をできるわけでもなく、教えるのが上手いわけでもない。

子どもを上手くレールに乗せてあげるのが不得手な私が、下手に子どもをコントロールしようとすると確実に詰む。

世間の流れに乗り、「私立中学!」と息巻けば、優秀な遺伝子とポテンシャルを持った親たちと戦うことになる。それ自体はまぁ仕方ないとして、焦って息子に当たり散らかしてしまう未来が一瞬で見えた。

息子の可能性はまだまだ未知だが、自分のことは30年以上生きているので大体予想がつく。息子に何らかの才能があったとして、私のエゴで潰してしまう可能性は否めない。

それらをふまえ、今後私ができることを考えてみた。

  • ①すべて息子のやりたいようにやらせつつ
  • ②せめて長時間机に向かえる子にする

①はいわゆる「さかなクンのお母さん」。何をやっても全信頼を置いて息子のサポートに徹する。書くと簡単だがなかなかに難しい。

そして②の「長時間机に向かえる」これだけでかなり強い。まずここができないと学校の勉強はおろか、何もかもが不可能。

あれもこれもと欲張ると絶対ひとつもできないタイプなので(私が)とりあえずこの二点だけを集中してやっていくと決めた。あとはもう、息子の人生なので息子に任せる。

教育は、「今日頑張ったから明日報われる」というものではなく、結果が出るのに何十年という月日がかかる。しかも人によってなにを「成功」とするかすら曖昧だ。

近年では、子どもが2歳の時点でどこの中学を受験するか既に決めている親も多いという。すごい情熱だ。が、それすら通過点に過ぎない。難関私立に受かったって、いい大学に入ったって、人生はその先も続いていく。

私は教育に向いていないけど、かと言って悲観もしてない。息子の人生にとって私は、あくまで数多く影響を受ける中の一部に過ぎないのだ。子どもの人生を自分がどうにかできると思う事自体おこがましいのかもしれない。

我の強い息子のことである。私が干渉しようがしまいが、きっと自らの道を突き進んでくれると信じている。

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