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2019.03.19

「なぜ勉強するのか?」この難問に対する みんなが納得できる答えとは?

編集長の本棚、第2回は『どのような教育が「よい」教育か』と『勉強するのは何のため? 僕らの「答え」のつくり方』という、同じ筆者の本を2冊ご紹介。論理的&哲学的アプローチで教育の「本質」に迫ります!

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なぜ勉強するのか?

「ソクたま 会議室」はもうご覧いただけましたか?

最初のテーマは『どうして勉強させなきゃいけないの?』。

現在、3人の異なる分野の有識者の方々に見解を伺っていますが、この問いへの答えは本当に人によってさまざまで気づかされることも多いので、これからもいろいろな方に問いかけて記事にしていきたいと思っています。

ちなみに僕の場合、どうして子どもに勉強させるのかって…突きつめて考えると、やっぱり子どもに幸せになってほしいから、ですね。

ただ、そう考えたとき、いくつもの疑問が湧いてきます。

「この先、子どもが幸せに生きるために、学ぶべきことってなに?

「そもそも、子どもにとっての幸せってなんだっけ?

幸せを定義できていない状態で、幸せのためになにを学ぶか考えるなんておかしいよなあ…と迷宮入りしているうちに、疲れて考えるのをやめてしまいがち。

僕ら大人も自分自身の幸せを定義するのは難しいんだから無理もありません。

思い返すと僕自身も、学生時代と20代の頃、そしておじさんになった今では、求める幸せの形がまったく異なります。

特に大きな変化があったのは、結婚して子どもが生まれた頃からでしょうか。

自分とは違う価値観を持つ人との暮らし、そして、自分と同じかそれ以上に大切に思う子どもという存在は、それまでの僕の考え方に少なからず影響を及ぼしました。

結果、選ぶ仕事や時間の使い方など、生き方そのものも少しずつ変わってきたなあと思います。

初志貫徹でブレずに生きていける人ももちろんいるとは思いますが、僕のように悩みながら考え方や生き方が変化していく人のほうが大半ではないでしょうか。

そのように、環境や出会う人によっても幸せの定義なんてコロコロ変わるもの。

だから、“とりあえず子どものうちは勉強に励み、幅広い知識を吸収したほうがいい“

“学校で勉強したことがいつか役に立つかもしれない”

“将来の選択肢が広がるはずだ”。

という考えもきっと間違いではないのでしょう。

でもなんだか、教科書どおりの答えでしっくりこないんですよねえ。

大人になった今、それって本当だったのかなあと疑問に思いませんか?

なんで勉強なんかしなきゃいけないの?

子どもにとって、本当に「よい」教育ってなに?

そして、その教育は子どもが幸せに生きていくための力になってくれるのか。

そんな、めちゃくちゃ難しくて本質的な問いに対し、とことん考え抜き、みんなが「納得できる答え」を示しているのが今回紹介する2冊の本です。

哲学的アプローチで「なぜ勉強するのか」の答えを導き出す!

著者は、熊本大学教育学部准教授の苫野一徳氏。

哲学者であり教育学者でもある方です。

「どのような教育が「よい」教育か」では、

ドイツの哲学者ヘーゲルやフッサールの現象学をはじめとする数多くの哲学を用いたアプローチで、人間はどのように生きたいと欲しているのか、そして、それを可能にする教育とは何なのか、について論理的に展開しています。

「勉強するのは何のため? 僕らの「答え」のつくり方」でも

多くの哲学者の説を引用しながら“納得できる答え”を導き出している点は同じなのですが、中学生でも読める平易な文章で“学校に行くのは何のため?”など身近な問題を取り上げてくれているのでより共感しやすいのではないでしょうか。

理論をしっかりと学ぶなら「どのような教育が「よい」教育か」ですが、「勉強するのは何のため?」のほうが簡単に読めるので日常で実践しやすいかもしれません。

筆者は「教育とは何か」について、以下のように結論づけています。

教育の「本質」とは何か。それは、「各人の〈自由〉および社会における〈自由の相互承認〉の〈教養=力能〉を通した実質化」である。

どういうことなのか、ものすごく簡単にお伝えすると、

まず、人間は誰もが〈自由〉に生きることを願っています。

これはヘーゲル哲学で論じられている答えなのですが、ここでいう〈自由〉とは“生きたいように生きられているという実感”のこと。

冒頭で僕が触れた幸せの定義とはどうやら〈自由〉であることのようです。

でも、誰もが自分の〈自由〉だけを主張しようとすると、必ず他の誰かの〈自由〉と衝突してしまいます。その最たるものが戦争です。戦争もそれぞれの“生きたいように生きたい”という欲望のせめぎ合いから引き起こされています。

つまり、ただ単に自分の〈自由〉を主張しても本当の〈自由〉は得られないということです。

じゃあ、どうすればいいのか。

それは、お互いがお互いに、相手が〈自由〉な存在であることを認め合うこと。

これを〈自由の相互承認〉の原理といいます。

※この〈自由の相互承認〉は本書を読んで学ぶ上での最重要キーワードです!

また、各人の〈自由〉そしてこの社会において必要となる〈自由の相互承認〉を得るためには、何らかの知識・技能・感度を持たねばなりません。

本書では、そういった〈教養=力能〉を身に付けることこそが、教育の本質だと述べられています。

つまり、「なぜ勉強するのか?」の答えも根本的には〈自由〉になるため。

このようにざっくり簡単に書いてしまうと、とてもシンプルすぎる答えで拍子抜けしてしまうかもしれませんね。

でもこれはまだ、本のかなり前半部分のお話。

ここから先、気になるのは

「じゃあ、〈自由〉になるための教育ってなに?」

「今の学校教育は、〈自由〉につながる内容になっているの?」

といったことだと思いますが、それは実際に本を読んで確かめてみてください。

子どもと向き合う上で大切な考え方

教育の問題はとても複雑で、答えを求めようとするとアタマから煙が出そうになりますが、

「そもそも何がしたいんだったっけ?」という本質的なところを今回ご紹介した本が明確にしてくれたので、悩んだときも目的を見失わずに考えられるようになった気がします。

これらの本からは、そのほかにもとても大切な“モノの考え方”を2つ学ぶことができます。

一般化のワナ

人それぞれ答えの違う問いにもかかわらず、自分の経験や知識(メディアの報道など)をもとにして一般化してしまうこと。

二項対立(二者択一)のワナ

例えば「ほめて伸ばすべきか、叱って伸ばすべきか」のように、どちらが絶対に正しいか決められない問いにもかかわらず、どちらかが正しいと思ってしまうこと。

この2つのワナ、人と話をしているときなどついついハマってしまうことありますよね…。

なので、常に注意しておきたいことではありますが、

特に、自分たちとは違う時代を生きる子どもたちと向き合うときに、大人が肝に銘じておくべきとても大切なことだと思います。

僕にとっては、さまざまな問題と向き合う上で基礎となるものを教わったとてもオススメできる本ですので、ご興味のある方はぜひ読んでみてください。

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