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ソクたま会議室
2021.07.29
テーマ: いい先生ってどんな先生?

自分を超えていく存在だと敬意をもって子どもと向き合う/サイエンスコミュニケーター・恐竜くん

恐竜くん

6歳のときに恐竜に一目ぼれし、現在はサイエンスコミュニケーターとして活動する恐竜くん。学者や学芸員という職業の選択もある中で自分らしい生き方をする背景には日本とカナダで受けた教育、先生との出会いがありました。

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抗議のために学校へ行かなかった小学生時代

実は小学校低学年の頃、学校は行ったり、行かなかったりという状態でした。といっても気まぐれなものではなく、自分なりに学校や先生の理不尽さと戦っていたのだと思います。

僕は筋が通っていないことや、不当な理由で誰かが酷い扱いを受けるような状況が、どうしても耐えられない性格でした。あまりに理不尽なことが起こって納得がいかないと、半ばストライキみたいな形で学校へ行かなくなりました

両親は子どもを、甘やかすような親ではなかったので、もし僕がただのワガママで「学校へ行かない」と言っていたら、それを認めはしなかったと思います。あくまで僕の考えを最後まで聞いたうえで、「それが正しいと思うなら、それでいい」と理解してくれました。ただし、勉強なども含め、自分で決めたことの責任は自分自身で持つということが、大前提でした。

母は学校の先生から「学校へ来るように親御さんから話して欲しい」と言われても、「先生から連絡があったことは伝えますし、本人の意思は確認します。しかし、本人が行かないというのであれば、私が無理矢理行かせることはありません」と返答していたようです。

常に自分で考えて選択し、自分の決断や行動に対して責任を持つということが、わが家の教育方針でした。

学校からすると、ある意味で面倒な家族だったでしょうし、ある一定の先生たちには、親子揃って煙たがられていることは、子どもながらにも薄々感じてはいました。一方で、職員室でも若干浮いていて、校内特有の理不尽な校則やローカルルールにはっきり異を唱えるようなタイプの先生たちとはむしろ馬があって、とても良い信頼関係を築いていました。

その後、高校1年の1学期でカナダへ行くために日本の学校を辞めましたが、仲が良かった小中学校の先生たちは「ついに動くんだね!早く行った方がいい、無理に狭い世界にいる必要はないよ」と手放しで喜び、応援してくれました。

小学生のころの恐竜くん

生徒を子ども扱いしないカナダの先生

日本の高校を辞めた後は、カナダの高校と提携していたインターナショナルスクールを経由して、カナダ・オンタリオ州の高校へ留学しました。

割と田舎の高校で、日本人の学生は僕が初めてといわれました。英語が話せない学生が通うことは想定されていない公立の学校だったので、英語の補助プログラムもありませんでしたが、とにかく先生が教師としても人間としても素晴らしい学校でした。

例えば、僕は語学レベルがほかの生徒より低く授業が分からないこともありました。そんなとき、先生に相談や質問に行くと、1時間でも2時間でも付き合って、僕にきちんと説明をしてくれました

テストの際には、各教科の先生同士で僕について話し合った上で、「言葉が分からないからといって、ほかの学生より採点を甘くしたり、問題量を減らしたり、簡単にしたりということは、フェアじゃないからできない。でも、言葉に壁があって問題の読み書きに時間がかかるのは当然だから、君にはテストの際に時間制限を設けない…という条件はどうだろうか?」と提案してくれたのです。「辞書を持ち込んでいいし、自分が納得いくまで時間をかけていいし、意味がわからない部分は何度でも質問を受け付けるし、何時間になろうと最後まで付き合うから…」と、すべての先生が言ってくれました。

化学のテストは、現地の学生でも2~3時間かかるぐらい大変で、僕は5時間ぐらいかかっていましたが、先生が自主的に残って付き合ってくれました。

しかも、僕に対しての先生からのサポートやテストの際の特別な条件に対して、ほかの生徒の誰からも「不公平だ」というような声はありませんでした。むしろ、僕が何かで困っているときは、クラスメイトの誰かが必ず「先生、彼が恐らくこういう理由で困っているから、そこはちょっと配慮してあげてほしい」と声を上げてくれ、常に雰囲気も良く、本当に素晴らしい環境でした。

また、1学期に3、4本の小論文というか、論文形式のレポートを書かされるのですが、提出後、先生から戻ってくるまでにかなり時間がかかるんです。なぜなら、先生が一人ずつ、ものすごく丁寧に見ているから。返却の際も、一人一人すべての生徒に対して個人面談をしながら返されるんです。面談では、「なぜこの評価なのか」「何が問題なのか」「何がよかったのか」「どうしたら改善できるのか」といったことを、先生が時間を取って丁寧に説明してくれます。ときには、生徒からの質問や意見も受けながら、面談が3時間におよぶこともありました。

高校最後の英文学の課題では完全に自由テーマだったので、個人的に大好きなアガサ・クリスティの本を2冊選び、彼女の作品の根底にある、“社会正義のあり方や人が人を裁くという法の限界”についての、彼女の思想について論じました。すると、先生は面談で、僕の文章についての評価だけでなく、彼女(アガサ)は敬虔なクリスチャンであり、作品にはキリスト教の価値観が深く影響しているということを、さまざまな作品を引用しながら話してくれました。そして、僕のバックグラウンド(キリスト教信者ではないこと)を踏まえれば、まだその辺りがピンとこないのは当然だから、そこについては、今回は採点の対象にはしていない、ということ。そのうえで、そうした作者の宗教観に根付く思想や価値観まで言及して考察ができれば、あなたの論文はパーフェクトだ、といった話を、長い時間をかけて本当に丁寧に説明してくれたのです。

つまり、生徒が選んだテーマについて全て調べて理解するだけでなく、関連作品も熟知し、生徒のバックグラウンドまで深く考慮した上で話してくれているということ。とてつもない教養と、深い人間性があって、初めてできることだと思います。

カナダでの高校では、初対面の学生が気さくに遊びに誘い、話しかけてくれてすぐに打ち解けることができたそう

生徒が先生を評価する権利

もうひとつ、カナダで印象深かったのは生徒の権利や人間性に、常に最大限の敬意が払われていたことです。先ほどの課題返却時の面談も強制ではなく、生徒側から拒否をすることもできるし、返却自体を拒むこともできます。いついかなる時も、望まないことを無理強いされることはありませんでした。

さらに、学期末には生徒が先生の評価を提出するシステムもありました。評価の項目は、その先生が「すべての生徒に対し、一人の人間として敬意を持って接したか」「すべての生徒をフェアに扱ったか」「私情によって、生徒に不当な接し方をしなかったか」「宗教観や思想の違いを押し付けてこなかったか」「人種や性別など、いかなる差別もしていないか」というような沢山の項目を、10段階で評価し、それ以外にも、自身の意見や考えを自由に書くことも可能でした。

この「先生評価」は、学期末に各クラスの先生をランダムに入れ替えて行われ、解答用紙には学生の名前も書きませんので、プライバシーは順守されます。これまた、辞退する権利も認められているんです。

ただ、とにかく真剣に取り組まなければいけないということは、毎回、何度も念を押されます。「あなたたちが今から提出するこの紙は、一人の人間の人生を左右しうるものです。この結果次第では、一人の教師が二度と教壇に立てなくなるかもしれない。その覚悟をもって、書いてください。」と言われました。

カナダは、隣のアメリカに対して結構はっきりものを言うし、拒否するものは拒否する国。人口でいえば日本の三分の一くらいの国なのに、時に驚くほど強く発言をできるのはなぜだろうと思っていたのですが、それは、国民一人一人の考える力や責任感が強いからだと気づきました。自身の立場を明確にし、常に責任をもって選択し、主張をするという教育を受けた人たちが、社会を形づくり、貢献し、政治に参加している。だからこそ、こういう国になるんだということを強く感じました。

人としての自由、権利、責任が生徒に委ねられて、求められている。先生たちは人権を尊重し、対等な人間として、常に子どもに敬意を払っている。それは本当に素晴らしいことだと思います。

カナダでの高校生活の様子

子ども達の人生を左右するかもしれないという覚悟

僕は今、イベントなどで子どもと接する機会が多いですが、両親やカナダで出会った先生たちの影響もあって、大人も子どももなく、「人として敬意を払う」ということを第一に考えています

そもそも子どもは、たまたま私より後に生まれてきたというだけで、しっかりとした意思を持った一人の人間です。誰かの所有物でも、誰かにコントロールされるべきものでもありません

僕が6歳のときに恐竜に出会い、その瞬間の衝撃が自分の人生を左右したように、子どもにとっては、たった一回の出来事や誰かに言われた一言が、良い方にも悪い方にも人生を左右するくらいのインパクトを持ってしまいます。だからこそ、子どもに接するときは、自分の言動や一挙手一投足に、細心の注意を払わねばならないと常に自戒しています。

もしかしたら、自分の何気ない一言が、誰かの一生を左右してしまうかもしれない。いついかなる時も、その覚悟を持って子どもと接するべきだし、それができないならば、安易に子どもの大切な時間や機会を奪ってはいけないと思っています。

日本のしつけや教育システムの基本には、「言うことを聞きなさい」という意識が根深く存在しているように思います。でも、この考え方は、時に大きなリスクをはらんでいます。

もし言うことをきかせようとする人間が、歪んだ価値観を持った人だったら、あるいは、社会全体が大きく間違った方向に進んでしまっていたら、どうなるでしょうか。「誰かに言われるままに行動する人間」を作るという思想は、教育としては、決定的に間違っているように思えます。本当に育てるべきは、「自分自身で考えて選択ができる人間」なはずです。

現状、通常の学校教育の現場では、どうしても先生が言った通りにできる子が評価されやすいですよね。余計な疑問や不満を持たず、やり過ぎず、やらなさ過ぎず。空気を読んで、大人が期待する通りに振舞える子が最も評価されやすく、多くの場面で社会全体が、そうしたシステムに順応した人が生きやすい構造になってしまっています。

実際に多くの子どもたちと接していると、学校に馴染み切れていないとか、周りの子とリズムが合わないという子が、少なからず見受けられます。

しかし、彼らは落ちこぼれなどではなく、むしろ、非常に聡明な子や、物事に対して真剣な子が多いとさえ感じます。周りからは「反応が鈍い」とか「何を考えているかわからない」と言われてしまうという子が、実際には誰よりも深く考えてから行動する子であったり、逆に「落ち着きがない」と言われている子も、実は頭の回転がとても速く、どんどん興味が移っていってしまうがために落ち着きがなく見えているだけだったり。それぞれの子に、ちゃんとしたロジックがあるのです。

これは、先生個人の技量以前に、システムの問題が大きいと思います。日本の学校はクラスの人数が明らかに多すぎます。カナダの学校では、一クラスに10人もいない場合もあり、一番多かった時でも20人未満でした。しかも、日本の小学校では1人の先生が、ほぼ全教科見るわけですよね。このような状態で30人ぐらいの子どもを同時に見なければならないのですから、個々に向き合って尊重するなど、物理的に不可能です。

このような状況は恐らく想像以上に弊害が大きく、もしかしたら致命的なレベルで、子ども達から様々な機会や、本来なら伸ばせたはずの力を、社会が奪ってしまっているように思えるのです

イベントの様子

子ども達は大人を軽々と超えていくべき存在

もの凄く単純にいえば、本来、次の世代の人々は、ごく自然に、前の世代を越えていくべき存在です。なぜなら人間は、多くの人々が積み重ねてきた成果を、世代を超えて伝え、人類という単位で共有し、発展させてきたからです。100年前よりも10年前、10年前よりも今の方が、確実に科学の知見や技術は発展し、芸術や文化も蓄積して、歴史を積み重ねてきています。先人の成果や功績はもちろん、犯してきた過ちや負の歴史も含め、すべてを学び、伝え続けていくことができる。それが人間なのです。

だから、明日生まれてくる子たちは、今日までの人間の発展も過ちも含めたすべての蓄積の上に立っていて、未来に生まれてくる子たちは、さらにその上に立つことになります。

私たちは常に学び続け、より良い社会を築き、次の世代に引き継いでいく責任があるし、新しい世代の人々はいずれ、私たちを当然のごとく超えていくべき存在なのです。少なくとも教育に携わる人間は、常にこうした意識を持って臨むべきだと考えていますし、もっと言えば、子どもの成長に寄り添うすべての大人たちが広く共有すべき価値観だと思っています。

僕が感銘を受けたカナダの先生たちや深く尊敬する人たちは、それぞれ少しずつ違う形であれ、そういった意識をどこかに持っていたと思います。いずれ自分を越えていくべき、これからを生きる人たちに対して、正しい敬意と覚悟を持って接するということを、けっして忘れずに活動していきたいと考えています。

恐竜の専門家が子どもへ“伝える”ことにこだわる理由/サイエンスコミュニケーター・恐竜くん
恐竜の専門家が子どもへ“伝える”ことにこだわる理由/サイエンスコミュニケーター・恐竜くん
恐竜研究で有名なカナダの大学を卒業し、現在はサイエンスコミュニケーターとして活動する恐竜くん。恐竜展や書籍の企画・監修など、国内外で多忙な彼は、子どもたちに向け.....

恐竜くんが企画・監修「DinoScience 恐竜科学博」

イラストレーション恐竜くん©Masashi Tanaka

7月17日(土)~ 9月12日(日)、「パシフィコ横浜 展示ホールA」にて、恐竜くんが企画・監修を務める「Sony presents DinoScience 恐竜科学博~ララミディア大陸の恐竜物語~ 2021@YOKOHAMA」が開催されます。

これまで門外不出とされていた”奇跡の化石”、トリケラトプス「レイン」の実物全身骨格が展示されるほか、「レイン」が生きていた白亜紀を体験できるシアターなど、恐竜が好きな人もそうでない人もさまざまな発見と感動ができる空間が広がっています。

「6,800~6,600万年前の北アメリカにあった大陸の湿地帯というローカルな世界に絞ることで、トリケラトプスが見ていた世界が分かる内容になっています。親からはぐれた子どもの恐竜が森の中をさまよってく冒険ストーリーがジオラマ展示や映像で再現されているなど、恐竜に詳しくない子どもも感情移入できるような内容になっています。何度行っても、その都度新しい発見ができると思いますよ」(恐竜くん)

                                   

<取材・文/浜田彩(ソクラテスのたまご編集部)>

恐竜くん

サイエンスコミュニケーター、イラストレーター、恐竜展プロデューサー、恐竜造形アドバイザー。6歳の時に恐竜に魅せられ、アルバータ大学で古生物学を中心に学ぶ。卒業後は科学教育・普及活動に注力。恐竜展の企画・監修からトークショーや体験教室の開催、イラスト制作、造形物のデザインや学術アドバイス、執筆、翻訳、メディア出演まで幅広く手掛けている。著書に『知識ゼロからの恐竜入門』(幻冬舎)などがある。

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