恐竜の専門家が子どもへ“伝える”ことにこだわる理由/サイエンスコミュニケーター・恐竜くん
恐竜研究で有名なカナダの大学を卒業し、現在はサイエンスコミュニケーターとして活動する恐竜くん。恐竜展や書籍の企画・監修など、国内外で多忙な彼は、子どもたちに向けて恐竜の知識を伝えるだけにとどまらず、生き物や自然、科学や環境問題などに目を向けてもらう活動も行っています。
目次
恐竜への興味を伸ばした両親の協力
恐竜くんの人生を左右する運命の出会いがあったのは6歳のとき。上野の国立科学博物館で恐竜の全身骨格を見て、恐竜に一目ぼれをしました。
「恐竜に出会った瞬間のことは覚えていて、見た瞬間に目が離せなくなった衝撃は忘れられません。もともと、僕は昆虫や動物など生き物全般が好きだったんですが、今まで動物園で見てきたゾウやキリンなどとスケール感や姿、形があまりに違うからこそ強烈なインパクトがありました」
そこからは恐竜のことがずっと好き。そして、恐竜への関心や興味を伸ばしていく背景には、両親の理解も大きかったそうです。
「母は子ど向けの図鑑や恐竜のおもちゃ、フィギュアを買ってくれました。一方、父は変わり者で、子どもを子ども扱いしない人でした。なので、恐竜の本といっても大学の研究室にあるような大人向けの専門書を買ってきたり、英語やドイツ語の恐竜本を渡されたりすることもありました」
また、恐竜くんが恐竜に興味を持つようになってからの夏休みの家族旅行では、全国の博物館を巡っていたそう。
「うちは家族全員が美術館や博物館が好きだったんですよね。まずは北海道から始まり、何年もかけて南下していき、最終的には岡山の博物館まで巡りました」
子どもの探究心に対して、とても協力的なご両親ですが、絶妙なのは“協力しすぎない”バランスです。
「応援や協力はしてくれますが、だからといって恐竜についてだけをプッシュしてくるようなことはありませんでした。僕は恐竜はもちろん大好きだったんですが、ほかにも興味の範囲はものすごく広くて、いろんなことが大好きだったんです。
父が舞台芸術を異様なほど好きだったこともあり、小さい頃からミュージカルや現代劇に連れて行ってもらえたり、家にはさまざまな分野の本が大量にあったり。誰かに押し付けられることなく、いろんなことに興味を持てるきっかけと興味を伸ばせる環境があったことは、今でも親に感謝をしています」
ひとつのことを極めた人、というと、ついそのことだけに没頭する姿を思い浮かべがちですが、そうとは限らないようです。
「恐竜が好きな子が陥りがちなのが、視野がひとつのことにマニアックに限定されてしまうこと。研究者にもそういう人は確かにいます。ですが、僕の場合はそうではなく、今もいろんな事に興味があっていろんな事に挑戦していきたいんですよね。
ただし、軸の部分は恐竜から一度もぶれていません。大変な仕事や心身ともにきつい状態でも、どこかではまだ楽しんでいる自分がいて、やっぱり恐竜が好きなんだなと思います。今回、企画・監修を務める「DinoScience 恐竜科学博」でも、少しでも新しい事が分かったりすると楽しいなと思うんですよね」
勉強は好きでも”みんな揃って”が苦手だった
実は小学校の頃は、学校へ行かない日も多かったという恐竜くん。しかし、勉強は嫌いではなく、成績も常にトップグループにいたそうです。
理系が得意と思われがちですが、国語や歴史、英語も昔から大好きでした。国語は、子どもの頃から俳句や短歌、漢文、ことわざ、四字熟語など、言葉にまつわるものが好きで、恐らく今も文章を書いたり話したりするときに役立っている気がします。読書量も、周りの子より多かったと思います。
もちろん理系の科目は得意でした。恐竜(古生物学)について学ぶ場合、生物学と地学が基準になります。ただ、僕自身は数学と物理が一番好きで、次いで化学という感じでした。実は大学も、地球科学と数学の二重専攻みたいな形で卒業したんです。あと、絵を描いたり何かを作ったり、ピアノも大好きだったので、図工や家庭科に音楽も得意でした」
「全般的に勉強が好きだった」と話す恐竜くん。興味のきっかけや、関心を伸ばすという家庭環境や、「自分で考えたことを認める分、行動には責任もつように」というご両親の教育方針も関係があるかもしれません。
しかし、唯一苦手だったのが体育です。
「運動することが嫌いというわけではなく、運動会のようにみんなが揃って、言われたとおりに同じことをやらなければいけないというのが、どうしても苦手でした。『みんなと同じ』を強制されることがダメだったのかもしれません。 特に小学校は、みんなが同じでるあることが重視される傾向があり、自分にとっては合わなかったと思います。
社会人になってからは、最初からフリーランスなんですが、自分は何かしらの組織に所属するには適合できないような気がします。そういう意味では、一種の社会不適合者かもしれませんね(笑)」
高校を辞めて夢へ大きく前進
成績は優秀だった恐竜くんですが、高校を1年生の1学期で辞めてしまいます。
「僕は8歳の時に、『将来はアルバータ州に行って恐竜の研究をする』と親や先生に宣言していました。ですが、高校生になったとき、全然カナダ行きに近づいていないということにフラストレーションを感じていたことに両親は気づいていました。そんな時、カナダの高校と提携しているインターナショナルスクールがあることがわかったんです。両親は、『学校のレベルは分からないけれど、先生は全員カナダ人。カナダの知り合いができて、何らかの道が開けるかもしれないし、もし何の縁ができなくても授業はカナダのカリキュラムなのだから、試してみたら?』と背中を押してくれました」
高校に辞める旨を伝えると嫌味を言う先生もいたそうですが、彼のことを理解してくれていた先生は喜んで送り出してくれたそう。
そして、インターナショナルスクールに編入したことが功を奏し、本来であれば18歳からの予定だったカナダ行きが16歳へと早めることになったのです。
「カナダは18歳未満には、現地に身元保証人がいない限り学生ビザが許可されません。だから、どんなに僕がカナダへ行きたい、カナダで学びたいと思っても18歳になるまで待つしかなかったんです。
ですが、インターナショナルスクールで親しくなった先生がカナダへ帰国することになり『私が身元保証人になってあげるから一緒に行こう。私の実家にホームステイしたらいい』と声をかけてくれたんです」
8歳の時に決意した「カナダで恐竜について研究する」という思いが縁を引き寄せ夢へと大きく前進した恐竜くん。そして、そこには彼の思いを当たり前のことのように尊重した両親の姿もあったのです。
カナダで衝撃を受けた教育のあり方
インターナショナルスクールの先生の地元であるオンタリオ州の高校へ通うことになった恐竜くんですが、カナダでの教育や先生に大きな衝撃を受けます。
「カナダの高校は日本の大学のように時間割は自分で決めるシステムでした。また、例えば、提出物を返却してもらう際の先生との面談や、そもそも返却されたものを受け取るかどうかも学生の意志が尊重されます」
“みんな揃って同じように”という日本の教育との違いは明らかでした。授業も先生が一方的に話すのではなく、学生によるプレゼンテーションやディベートが行われていました。
「ただでさえ授業スタイルがそうな上に、基本的に授業中の学生たちの発言がすごいんです。先生が話している途中でもどんどん学生が口を挟んできて、『最近読んだ化学の雑誌に書いてあったことが今の先生の説明と違ったんですが、実際はどうなのでしょうか』とか『私はこの本を読んで、先生の説明とは少し違う作者の意図を感じました』とか、本当によくしゃべります。結局、授業の途中からはみんなで議論することになって、最終的にその日にやるはずだった部分は『みんな明日までに家でやってくるように』となるんです(笑)」
また、授業で誰かがプレゼンテーションをして、最後に「質問がある人は?」といえば、他の学生たちが容赦なく質問や意見をぶつけます。
「こんなスタイルの授業を14、15歳ぐらいから徹底的に毎日やっているんですよね。この環境で育ってきた人たちの中に大学から入っても、きっと手も足も出なかっただろうなと思いました」
また、学生が発言する権利や自由が認められているだけでなく、そこに責任が伴うこともきちんと教えられていたそう。
「学期末に学生が先生を評価するシステムなのですが、その時、『あなたたちの評価次第ではこの先生はもしかしたら二度と教壇に立てないかもしれない。その覚悟を持って書いてください』と言われたんです。
人としての自由、権利、責任を認め、人権を理解して、人に敬意を払うということが学生に委ねられ、求められている。これは本当に素晴らしいことだと思います。
教育とは、ただ勉強教えたり、点数を取れるようにしたりすることではなく、責任を持って自分の力で生きていける人間を育てることだとカナダで経験しました」
どんな研究も受け継ぐ子ども達がいなければ価値がない
その後、大学では、恐竜についてだけでなく、人としてないがしろにしてはいけないことを徹底的に教え込まれたと話す恐竜くん。その経験は、彼の一部となり、トークショーやワークショップなど、子ども達との時間に生かされています。
「元々は、大学卒業後、カナダに残って学者になるつもりでした。または、カナダかアメリカで博物館、もしくは大学に勤めて研究者になることも考えていました。ですが、大学で本格的に学ぶほど、自分が本当にやりたいことは研究者ではないのかもしれないなと思ったんです」
そんな中、改めて感じたのがアメリカやカナダの博物館の展示のすばらしさです。
「アメリカやカナダの博物館は、研究と普及が科学の二本柱として成立しています。なぜなら、どれだけ立派な研究をしても理解し、引き継いでいく人間がいなければ、それは何の価値もないことであるとされているからです。だから、普及活動を一切軽視せず、研究と同等というスタンスが徹底されています」
研究する専門家ではなく、伝えていく専門家になりたいという自分の気持ちに気づき、日本に帰ってきた恐竜くん。
「僕の活動は、大きい海にちっちゃい石を投げ込んで、小さな波紋ができるレベルくらいのことかもしれません。それでも充実しています。
僕が行う“伝える”ことには、最終的に必ず“受け取る”人がいます。特にトークショーやワークショップで子どもと接しているときは、僕にとっては“楽しい”しかない仕事です。大好きな恐竜の話をして、みんなが『楽しかった』『面白かった』『いろんなこと知れたね』と言って帰ってくれて、さらに何回も参加してくれて数年越しでその子の成長を見ることができると、自分はこの生き方を選んで本当に良かったと思います」
恐竜くんが6歳のときに受けた、人生を左右するようなインパクトは、今、恐竜くんから子ども、次世代へ託されていきます。
「自分が関わることができるのは、その子の人生のほんの一瞬ですが、その一瞬が一生ものになるかもしれません。だからこそ、準備から手を抜かず、一番良い経験をしてもらえるように本番も取り組みます。子どもたちには、大人の本気を見て、自分の人生の糧にしていく権利があると思っています」
恐竜くんが企画・監修「DinoScience 恐竜科学博」
7月17日(土)~ 9月12日(日)、「パシフィコ横浜 展示ホールA」にて、恐竜くんが企画・監修を務める「Sony presents DinoScience 恐竜科学博~ララミディア大陸の恐竜物語~ 2021@YOKOHAMA」が開催されます。
これまで門外不出とされていた”奇跡の化石”、トリケラトプス「レイン」の実物全身骨格が展示されるほか、「レイン」が生きていた白亜紀を体験できるシアターなど、恐竜が好きな人もそうでない人もさまざまな発見と感動ができる空間が広がっています。
「6,800~6,600万年前の北アメリカにあった大陸の湿地帯というローカルな世界に絞ることで、トリケラトプスが見ていた世界が分かる内容になっています。親からはぐれた子どもの恐竜が森の中をさまよってく冒険ストーリーがジオラマ展示や映像で再現されているなど、恐竜に詳しくない子どもも感情移入できるような内容になっています。何度行っても、その都度新しい発見ができると思いますよ」(恐竜くん)
エディター、ライター、環境アレルギーアドバイザー。新聞社勤務を経て、女性のライフスタイルや医療、金融、教育、福祉関連の書籍・雑誌・Webサイト記事の編集・執筆を手掛ける。プライベートでは2児の母。