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2019.09.19

【不登校・体験談】学校に行かない理由は何でも良かったのかもしれない

東京都出身の松倉さんは両親と兄、弟の5人家族。現在は実家を離れ、マレーシアの大学に留学中です。彼が不登校だったのは中学2年の7月から卒業までと、高校2年の1年間。最初のきっかけはいじめでしたが、不登校の期間が長くなるにつれ何が原因で学校に行きたくないのか自分でも分からなくなっていたそう。そこには、思春期特有の心の揺れも関係していたようです。

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不登校の引き金となったのはいじめ。でも…

中学時代の松倉さんは、いわゆる“いじられキャラ”。クラスメイトの一部のグループにからかわれて、彼がおもしろいリアクションを取るというのがいつもの風景となっていました。

「いじられてもヘラヘラしているようなタイプで表面上はうまくやっていたと思うんですが、心の底ではストレスになっていたんでしょうね。最初は軽くパンチされる程度だったのに、徐々にエスカレートしていましたし。ある時『何となく学校行きたくないなあ。あれ、行かなかったらどうなるかなあ』って、実行したのが中学2年の7月。本当に突然だったんです。両親が共働きで僕より先に出勤するので、気づかれずに学校を休めるというのもありました」

一度“学校を休める”という選択肢ができてしまうと、次の日も休んでしまう…。両親にはもちろん言えずにいましたが、数日経って学校から母親に連絡が入ります。

「担任の先生と母とで“いじめがあるんじゃないか”など、いろいろ原因を探り相談に乗ってくれました。僕も、学校へ行かない理由として『クラスの人間関係が少ししんどい』と話していましたし。何度か担任が訪問してくれたり、母親はカウンセリングに連れて行ってくれたり。でも実はいじめが一番の理由ではなかったので、どれも僕的には空振りな感じで。思春期という時期もあったんでしょうね、大人の対応にイライラして反抗的な態度を取ってしまっていました」

表現できない思春期の気持ちの揺れ

学校へ行かなくなった中学2年の7月からの3ヵ月間、その後フリースクールに通い始める10月までの期間は“自分の好きなこと”だけしていたといいます。

「コンビニに行ったり、遊びに出掛けたりということはありましたが基本、家の中でゲームばかりしていました。毎日10時間くらいゲームに没頭し、昼夜逆転の生活。ほとんど体を動かさないからお腹が減らず、1日1食という日もありましたね」

担任の勧めでフリースクールの中等部へ通学するようになりますが、当時の学校へは戻ることはありませんでした。周囲の大人だけではなく松倉さん本人もなぜ学校に行かないのか分からないまま、中学卒業を迎えます。

「中学の時は大人たちが不登校の理由をこれだ! と決めつけることに反発していました。僕も原因を見つけたくて、でも分からなくて必死な部分もありました。何かに悩んでいたというよりは、単純に『学校に行かなかったらどうなるんだろう』という好奇心のようなものが理由だったんじゃないかと思うんです。学校に行かなくていいなら、理由はなんでも良かったのかもって」

親や担任、周囲の大人が手を差し伸べてくれたことに今となってはとても感謝しているという松倉さんですが、当時は“腫れ物に触るような”感じの大人の対応が嫌だったそう。あくまで、普通の中学生として接してほしかったと話します。

その後、高校に入学。特別な理由はなかったものの、高校2年次に再び不登校に。

「1年間休んでいたので、2年生は2回経験しているんです。周りの大人によく言われたのが『コミュニケーション力つけなきゃダメだよ』って。でも、コミュニケーション力って習得するまでそんなに直線的なものじゃないですよね。それと、話を聞いてくれたりアドバイスをくれたりというのが僕を学校に行かせるための誘導だと分かると心を閉ざしてしまうんです。多感な時期でしたし、24歳の僕とは違って当時は自分の気持ちをどう表現したらいいのかも分からなかった…。ただ、中学の時と違ったのは僕の反応。心では反発しつつ『はい、頑張ります』って、大人の期待通りの反応を示していました」

「学校に行きなさい」と言わない親に救われた

松倉さんの転換期となったのは、2度目の高校2年の時。決定的な何かがあったのではなく、自分の中で芽生えたものでした。

「周囲の大人はきっかけは作ってくれるけど、最後は自分でどうにかしなきゃいけない。このままでは、将来にも影響するなって。そこからは大人に促されてではなく、自分の意志で学校へ行こうと思えるようになりました。ただやっぱり、同世代のノリについていけないと感じることは多くありましたし、他の子と自分はちょっと違うのかも…と悩むことはありましたね」

そして今、彼が切に感じるのは両親への感謝の気持ちです。

「両親共に、無理に『学校に行きなさい!』とは絶対に言いませんでした。母は愛情を持って接してくれましたが『こうあるべき』というのを押し付けることはしませんでしたし、気にしてないという雰囲気を出してくれていました。父も問題集などを買ってきて『一緒にやるか!』と言ってくれて。すごく悩んですごく心配だったと思うんですけど、見守っていてくれたことで居場所がなくなってしまうという感覚はなくて。本当に感謝しかないです」

試練を与えることで広がった自分の世界

高校卒業後は、塾講師のアルバイトをしながら英語の勉強をスタート。大学でも同じようなことになるだろうという危惧のあった松倉さんは“物理的に逃げられない環境”を自らに課し、海外留学を目指します。そして現在、マレーシアの大学の3年生。マレーシアの風土や人間性は、松倉さんに合っていたといいます。

「いま振り返ると、僕はHSCの傾向があったんじゃないかと思うんです。人より敏感というか、周りと違うなと感じることも多いですし。日本にいた時は季節や天気に体調を左右されることも多くて。マレーシアは年中常夏で、湿度も低いので活動しやすいんです。マレーシアの人たちはいろんな意味でアバウトで、そんなところもラクで日本にいた時よりリラックスして過ごせている気がします」

大学では、新しい友人との出会いも待っていました。同世代の仲間といるときに感じていた違和感も解消し、自分に自信がついたと話します。しかし、“不登校から立ち直った”という意識とは少し違うようです。

「不登校だった頃の繊細な部分は、今でも変わっていないと思うんです。あの頃と違うのは、自分のことが理解できているということでしょうか。嫌だと感じることをすぐに避けるのではなく、“なんとなく、嫌だな”という自分の考え方の癖を俯瞰して、嫌な理由は何だろうと考えるんです。そうすると、大した理由ってなかったりするんですよね(笑)。今でもいじられキャラではありますが、それはそれでいいのかなって。そういう人もいて自分のことが知れたっていう部分もありますし、自分とは違う感覚の友人と話をするのが楽しいと感じるようになりました」

一時帰国中の松倉さんは、休暇を利用してアルバイトをしながら就職活動や企業の情報収集にも励んでいます。不登校だったことについて企業の面接で質問を受け戸惑うこともあるそうですが、決して過去の自分に対して後悔はしていないといいます。また、通っていたフリースクールを訪れ子どもたちと遊ぶボランティアもしています。

「子どもたちとはただ一緒に遊ぶだけ。『こうした方がいいよ』という大人目線のアドバイスはしないようにしているんです。良かれと思って発言したことが良い方向に作用するとは限らないし、子どもによって不登校の理由もいろいろあります。彼らも自分なりにいろいろ考えていると思いますから」

大学卒業後はいったん現地で就職し、いずれは日本に帰国したいと考えている松倉さん。最後に笑顔で力強く、こう話してくれました。

「日本に戻る度に不登校だった頃の気持ちが蘇る感覚はあるのですが、自分の気持ちとの折り合いの付けかたや人間関係の築き方には自信が持てるようになりました。あの頃の自分がいて今の自分がいる。不登校の経験があったからこそ、広い世界を知ることができたんだと思います」

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濱岡操緒

岩手県出身。大学卒業後、ゲーム会社で広報宣伝職を経験した後、ママ向け雑誌やブライダル誌を手掛ける編プロに所属。現在はフリーランスのエディター&ライターとして活動中。一人息子の中学受験で気持ちに全く余裕がない中、唯一の癒しとなっているのが愛犬と過ごす時間です。

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