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2022.05.06

有名私立中学で不登校、定時制高校でも挫折した僕が方向転換できた理由

小学生の頃から優秀で御三家にも合格するほどの学力だったダイスケさん。しかし、入学後すぐに周囲との違いに戸惑うことに…。不登校になり、その後も紆余曲折の人生を歩んできた彼が意識を変えて、今、本当にやりたい道へ進むことができた理由とは。

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中学受験での合格がゴールになっていた

3歳上の姉と両親とともに都内で生まれ育ったダイスケさん(仮名)。両親は勉強にうるさいほうではなかったが、お姉さんが私立中学へ進学していることから、「自分も中学受験をするものだろう」と思い、小学校低学年から勉強をすることが当たり前の習慣だったそう。

「低学年の頃は通信教材で勉強し、小学5年からは中学受験用の塾に通っていました。親は『御三家を目指せ』とプレッシャーをかけるタイプではなく、『あなたに合った学校に入って有意義な学生生活を送れたらいいね』というスタンスでした。

ですが、模試でいい点数を取ればほめてくれるし、塾の先生も喜んでくれる。勉強ができれば周囲の大人ががほめてくれる、認めてくれることが苦しい受験勉強の中でモチベーションになっていました」

がんばった子をほめることは悪いことではありません。でも、ダイスケさんの中では、いつの間にか”勉強ができること=自分の価値”という図式が無意識のうちにできてしまっていたようです。

そして、迎えた中学受験本番。ダイスケさんは第一志望だった難関有名中学に合格します。

「うれしかったですね。苦しかったレースを終えて、ようやくゴールできた感じです。解放感いっぱいで、『あんなに頑張ったんだから、あとは遊んでいいよね』と思って、中学入学前の春休みはゲームばかりして過ごしていました」

入学直後から感じた周囲との違和感

ダイスケさんが進学した中学は、何校か見学に行った中、自身で選んだ学校でした。

「候補が2校あり、1校は優秀だけど自由な校風で知られる学校、もう1校は真面目な雰囲気の学校で、僕が選んだのは後者でした。前者を勧めてくれる人もいましたが、自分の性格を考えると自由な校風だとタガが外れて遊び惚けてしまいそうだと思ったんです」

ダイスケさんが察した通り、進学した中学は真面目な生徒が多い学校でしたが、果たして“真面目”とはどういうことなのかをダイスケさんは入学早々から知ることになります。

「入学後、授業が始まった時点で、みんなとの違いはすぐに分かりました。僕がゲームをしていた春休みの間、同級生たちは、僕がまだ手も付けていなかった英語や数学の勉強をしてきている。完全にスタートダッシュに出遅れました」

「このままじゃいけない」と焦りを感じながらも、どうしても受験をしていた頃のような勉強スイッチが入らないダイスケさん。定期テスト前に部活(サッカー)仲間と集まってテスト勉強をしていても、「どうしても勉強をする気になれずにひとりだけマンガを読んで過ごしていた」と当時を振り返ります。

「毎日のようにミニテストがあったんですが、友達と比べてできないことも分かっていたし、自信を完全になくしていました。できない自分を受け入れてしまっていたんです」

進学校ゆえか、友人同士の休み時間の会話も授業の内容や勉強についてが多く、同級生が英単語の問題を出し合ったりする中、ダイスケさんは「このクソマジメどもが!」と心の中で悪態をついていたと言います。

そんなダイスケさんにとって心の逃げ場所になっていたのは、買ってもらったばかりのスマホでした。四六時中、スマホを触っているダイスケさんを見て、母親は取り上げようとしますが、唯一の救いだったスマホまで無くすわけにいかずダイスケは必死で抵抗しました。

「母親はスマホのせいで勉強をしないと思っていただろうし、スマホ依存だとも言われていました。スマホの使用を制限するルールづくりを何度も提案されましたが、聞かなかったですね」

不登校の後、エリート校での進学を断念

そして、勉強へのコンプレックスが深まっていた中学2年の夏、ダイスケさんをさらなる試練が襲います。

「僕は勉強はできませんでしたがサッカー部ではスタメンで、『勉強はダメだけどスポーツなら…』ということが僕の心の支えになっていました。でも、部活のコーチが根性論者でサッカーとは関係ない理由でスタメンから外されて試合に出られなくなってしまったんです。さらに、親友が転校してしまい、周囲からどんどん孤立するようになってしまい…」

自分を支えていた、勉強とスポーツという2つの自信、そして人間関係。すべてを失ったと感じたダイスケさんは、夏休み明けから登校できなくなってしまいました。

「親から『学校に行きなさい』と言われても行けない。かといって、親に悩みを打ち明けることもできず、家の中でスマホばかりいじっていました」

その後、中3になっても登校をすることはできなかったダイスケさん。高校進学を考える時期になり、学校から「出席日数が足りないために高校進学はできないが、留年すれば進学できます。どうしますか?」という選択を迫られました。

「どうしても留年はしたくなくて高校進学は諦めることにしました。でも、エリートコースから外れることが怖くて、どうしても高校に進めないことが分かったときに大学受験でリベンジしてやると話していました」

ダイスケさんの話を聞いた両親は、出席日数に関係なく入学でき、大学への進学率がいい高校を探して、都内の定時制高校へ入学しました。

「『大学受験でリベンジする』『勉強がしたい』と言いながらも結局、勉強はまったくしていませんでした。遊んでばかりで勉強をしていない自分に焦るから余計に遊ぶという悪循環でした」

結局、定時制高校でも高1の時点で不登校になりましたが、大学に合格するまで籍は置いていました。

「最終的に卒業はせず、高卒認定を取得して大学受験をしました」

学歴に関係なく尊敬できる人との出会い

自分の価値基準が、中学受験時代にほめられた“学力”、エリート校へ入学した事実に基づいていたダイスケさん。だからこそ、いい大学へ入るという学歴へのこだわりが捨てきれませんでした。

ですが、高2のときに入塾した学習支援塾「ビーンズ」での出会いが、そのこだわりからダイスケさんを解き放ってくれました。

「それまで、”自分の価値=学歴、偏差値”という思いがどこかにありましたが、塾で出会った人たちは学歴も偏差値も高いわけじゃないのに心から尊敬できると思えたんです。

例えば、成績に関係なく論文を突き詰めて書いている人や、自分の夢をイキイキと楽しそうに話している人。(人の価値は)偏差値じゃないと思えたとき、初めて、どうして自分は『勉強をしたい』と言っているのかということと向き合えたんです」

自分と向き合い、初めて周囲に「勉強をしたくない」という本音を言えたといいます。

「『なぜ僕は勉強をしたいと言っているのか』ということについて考えたら、僕は、勉強がしたいわけではなく、ほめられたかったし、認められかっただけだったんだと気づいたんです。本当は勉強はしたくなかった」

初めて「勉強が楽しい」と思えた大学受験

初めて本心と向き合って冷静に将来について考えた結果、やはり「大学進学はしたい」と思い、高卒認定を取得し、大学受験に挑んだダイスケさん。中学受験と違うのは、合格することがゴールではなく、入学後の生活や大学からつながる社会生活についてきちんとイメージできていたということ。

「塾でデザイン系の仕事をしている人に出会い、アートの道もいいなと思うようになりました。中学以降、学習習慣がなかったため取り戻すのは大変でしたが、塾の仲間が受験を祭りのように盛り上げてくれたことで、初めて『勉強が楽しい』と感じました

一浪した結果、有名美術大学と名門私大に合格。どちらに入学するか悩んだ結果、受験会場でほかの受験生がのびのびとしていた雰囲気に惹かれて美大へ進学。今は、ものづくりを通じて企業や自治体とともに社会をリノベーションしていくことについて学んでいるそう。

「もし、あのまま中学、高校と順調に進んでいたらまったく違う価値観で育っていたと思います。偏差値・学力至上主義で、その後もいい大学へ入り、官僚を目指していたのではないでしょうか。でも、どこかで心が折れていたかもしれませんし、幸せになれるか分かりませんでした

挫折した経験は、親にもたくさん心配をかけましたが、今は自分で選んだ道を進み、やりがいのある日々を過ごせています

もし、今、勉強や学校生活から取り残されて悩んでいる人がいたら、ダイスケさんは、次のようなことを伝えたいと話します。

「(学歴やエリートコースなど)持っているものを手放すことは、とても不安だと思います。ですが、手放して歩き始めた先には、以前は見えなかった違う幸せな道があると信じて自分のペースで進んでいって欲しいと思います」

浜田彩

浜田彩

ソクラテスのたまご編集部のメンバー。環境アレルギーアドバイザー。新聞社勤務を経て、女性のライフスタイルや医療、金融、教育、福祉関連の書籍・雑誌・Webサイト記事の編集・執筆を手掛ける。プライベートでは2児の母。

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