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2019.07.23

【不登校・体験談】「学校へ行かない理由は誰にも話せなかった。前に進めたのは高校進学という目標」

ライター・翻訳・マーケティングなど、さまざまな業界で活躍するフリーランスのSさん。彼が不登校になったのは、私立中学2年次の約3か月間。理由は、同級生からのいじめが原因でした。周囲から助けてもらうことなく、自分一人で解決した不登校。当時の思い、家族を持った今だからこそ感じる不登校という経験について話を聞きました。

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いじめを見て見ぬふりの学校、両親の不仲…相談できない環境で不登校に

両親と姉の4人家族、東京の下町で生まれ育ったSさんが不登校になったのは中学2年の時。原因は、ひとりの同級生からの執拗ないじめでした。

「もともと問題行動の多いクラスメイトだったんですが、脅されたりトイレで殴られたりが2ヵ月ほど続きました。私の通う中学は大学付属の私立校で、その子の親は資産家で学校に多額の寄付をしていることで有名でした。それも原因してか、学校は見て見ぬふりでした。」

学校へ行けなくなった期間は、図書館や書店で過ごすことが多かったというSさん。誰かに助けてもらいたいという気持ちはあるものの、両親や友人に相談することはできませんでした。

「両親の仲があまり良くないこと、母親の気性が荒いということもあり、幼い頃から物事を表面上で丸く収める、波風立てたくないというのが無意識に身についてしまっていたんです。だから、両親には絶対に話しませんでした。学校へ行っている振りをして朝、家を出ていましたから両親には“嘘をついて学校をサボっている”と受け止められてしまい…。学校へ行かない理由を知らない母親に『どうして学校へ行くという当たり前のことができないの』ととがめられたことは、辛かったですね」

不登校から抜け出せたのは「高校に進学したい!」という強い思い

学校にいじめの事実を伝えることで同級生からの暴力がエスカレートする可能性への不安、他の同級生たちに知られたくないという気持ちからひとり悩む日々が続きます。そんな中、唯一の楽しみは部活仲間と共に汗を流すひとときでした。

「学校に行かない間も、部活にだけはできるだけ顔を出していました。テニス部のレギュラーメンバーで大会も近かったので、出場選手枠から外されたくなかったんです。部員仲間は変わりなく接してくれて、嫌なことを忘れてリフレッシュできる時間でしたね」

Sさんが不登校だった期間は中学2年の3ヵ月間。誰にも相談できない、誰も助けてくれないという辛い状況の中、解決の糸口となったのは“進学”という目標でした。

「不登校が続くと、出席日数が足りなくなるため高校へ進学できなくなります。小学5年生から塾に通い始めて、とにかく必死で勉強して入った学校でした。入学金や教育費など、両親に負担をかけているということも子どもながらに理解していましたし」

Sさんも未だに理由は分からないと話しますが、再び学校に通うようになった時には、いじめはなくなっていたそうです。

二度と屈辱を味わいたくない。仕事では人一倍、慎重に

その後、エスカレーター式で高校に進学。部活仲間や友人とも以前と変わらない付き合いができていたそうです。大学は、系列ではなく別の公立校を受験し入学。中高の友人とは疎遠になってしまいましたが、信頼できる新しい友人との出会いやサークル活動など、充実した大学生活を送ることができたとSさんは話します。

「楽しい思い出が一番多いのが、大学時代かもしれません。妻とも大学で知り合ったんです。でも、学生時代の人間関係と社会に出てからのそれは全然違って…。波風立てなきゃいい、というだけじゃうまくいかないなということも多くありました」

しかし、周りを気遣いよく観察する慎重な性格が仕事で生かされている面も大いにあるというのが編集部がSさんから受けた印象です。コンサルタント、マーケティングリサーチ、宝飾品ブランド、健康食品の通販会社とさまざまな業界でキャリアを積んできたSさんですが、どの職場でも経営に関わる責任のある業種を任されてきました。

過去の自分に言ってあげたいこと、自分の娘に伝えたいこと

塾では「先生に怒られたくないから」、家庭では「お母さんを刺激して怒らせたくないから」、さらに中学時代のいじめと不登校の経験から、必要以上に他人の顔色をうかがい恥をかきたくないという気持ちが強いと自分を分析するSさん。

「不登校だった自分の過去を後悔していないとは言い切れません。あのような経験は二度としたくないと今でも思います。でも、注意深く周りと付き合うことが結果として仕事の細やかさ、会社での評価につながったのかなとも思います」

妻と6歳になる娘と、週末には家族3人でピクニックに出掛けるなど現在は穏やかで幸せな毎日を送っているSさん。人間関係に慎重な彼の性格は、家族には思いやりというかたちで伝わっていると感じます。

「娘には生まれた時に病気があって妻の負担が大きかったこと、合わせて勤め人として出世や待遇面で限界を感じていたこともあって会社を辞めて独立しました。妻は交際当時から信頼できる存在です。母との関係も今は良好で、時々会いに行って茶飲み友達のように話を聞いてあげています」

もし、自分の娘が辛い悩みを抱えることになってしまったら、やはり親としては「相談してほしい」というのがSさんの思い。

「でも、娘が親に言いたくなかったらそれを強制することはできないですからね。過去の自分に言ってあげたいことでもありますが、嫌なことがあったら嫌だと言えること、NOと言える勇気は持つべきだというのを娘には伝えておきたいです。もし娘が不登校になったら…無理に登校させないと思います。『勉強だけさせておけばいっか』くらいのおおらかな気持ちで受け止めてあげたいですね」

濱岡操緒

岩手県出身。大学卒業後、ゲーム会社で広報宣伝職を経験した後、ママ向け雑誌やブライダル誌を手掛ける編プロに所属。現在はフリーランスのエディター&ライターとして活動中。一人息子の中学受験で気持ちに全く余裕がない中、唯一の癒しとなっているのが愛犬と過ごす時間です。

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