【ビリギャルが伝えたいこと①】信じてくれる大人がいれば子どもはチャレンジできる
慶応大学から聖心女子大学大学院、そして2022年の秋からはコロンビア教育大学院の学生として新たな学びのスタートを切る小林さやかさん。今、改めて語る「ビリギャル」再起のエピソード。そこには、全ての子どもに通じる可能性の種を咲かせるメソッドがありました。
目次
“もともと勉強ができた”は都市伝説! 私は勉強が大嫌いだった
「ビリギャル」として私が世に知られるようになって、15年以上が経ちます。高校2年生の夏から1年で偏差値を40上げて慶應大学に入学したというエピソードが書籍化され、映画化され、私の人生は大きく変わりました。
ビリギャルとしての講演活動は、500回以上。実に25万人もの人たちに私の話を聞いてもらいました。私の経験してきたことが、悩んでいる子どもたちの道を開くきっかけにつながってほしい…そんな思いで講演活動を7年続けてきました。そして「私も頑張りたい!」「一歩踏み出す勇気がもらえた」という声をもらうと、何よりもうれしかったものです。
けれど、中には「もともと頭が良かったからでしょ」と感じる人も少なくはないようでした。その理由としてよく挙げられるのが、私が私立中学出身だということ。中学受験をするくらいだからもともと勉強が得意だったとか、好きだったとか思うのかもしれません。
でも、私は小学生の頃も勉強は苦手だったし、嫌いだった。
では、なぜ私が中学受験をしたのか。その理由は幼少期に芽生えた強いコンプレックスと、それでも人生諦めたくない! という貪欲さでした。
何があっても子どもを信じきる母とスパルタ教育を施す父
わが家は両親と私、2歳下の弟と6歳下の妹の5人家族。父と母の夫婦仲は決して良いとはいえず、子育て観も対照的でした。
母の教育方針は子どもに何でも自分で決めさせるもので、たった一つだけ言われていたのは「ワクワクすることを自分で見つけられる人になってほしい」ということ。そして、私が失敗したときにはプラスに考えられる言葉をかけてくれ、成功すると自分より何百倍も喜んでくれるんです。とにかく、どんなことがあっても私たちを否定することはありませんでした。
一方、父は『巨人の星』の「星 一徹」のような人。弟が運動神経が良かったこともあり、「プロ野球選手になれ。俺の言うことだけ聞いていればいい」というスタンスでした。
私が中学受験をしたのは、弟みたいになりたかったから。みんなにチヤホヤされて期待される弟を見て、「なんで私は男の子に生まれなかったんだろう」というコンプレックスがあったんです。友達も少なく、勉強もスポーツも苦手…何の取りえもない自分の人生を変えたいと思っていました。弟ばかりを見ている父に対して、寂しい気持ちもあったのかもしれません。
小学生の頃の私は自分に全く自信がなかったわけですが、母は毎日呪文のように「さやかは幸せになれるのよ、大丈夫」と言い続けていました。だから、「私は絶対、世界一幸せになるんだ!」という貪欲さだけは幼い頃からあったと思います。
私は小学校6年の時「今までの私を知っている人がだれもいない世界に行って、人生をやり直すんだ!」と決め、父に中学受験をさせてほしいと頼みました。しかし、お金がなくて私に公立に行ってほしかった父は「○○か△△に受かったら学費を出してやる。それ以外なら、おとなしく公立に行け」と言ったんです。それで、私は公立中学に行きたくない一心で勉強しました。
その執念が通じ、父が指定した学校のうちのひとつに合格した私は、無事に“キャラ変”に成功し楽しい人生を送り始めました。しかし同時に、勉強する目的がなくなり、一切机に向かうことはなくなりました。
勉強する意味を見つけられていたら、ビリギャルにはならなかった
このように、私が中学受験をしたのは勉強への意欲があったからではなく「人生をやり直したい」という強い意志があったからで、勉強はその手段にすぎませんでした。むしろ、勉強してみて思ったことはやっぱり「勉強って楽しくないし、何のためにするか分かんないな」ということ。さらに、入学した中学は大学付属校でエスカレーター式に進める。もう、中学入学後は勉強はすっぱりやめて、やっとできたたくさんの友達や彼氏と思いっきり遊んでました。「私の時代が、やっと来た!」という感じで楽しくて仕方なかったですね(笑)。
もっとも、大人からは完全に問題児扱い。勉強しないだけでなく素行も悪く、中学3年時には喫煙が見つかり、校長先生に「人間のクズ」と言われたほどです。本当に、常に退学寸前でした。母だけは一貫して私の味方でしたが、父とは毎日のようにけんかでしたし、理解してくれる大人は母以外、誰もいませんでした。
大人になった今思うのは、学ぶことの楽しさをなぜあの頃気付けなかったのか、気付かせてもらえなかったのかということ。もし小学生や中学生の頃に気付いていたら…というのは考えますね。この点については、次回お話ししましょう。
坪田先生との出会いが私の人生を変えた!
そんな私の運命を変えた出会いが『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』の著書であり、坪田塾の塾長・坪田信貴先生です。
「ああ、この人は怒らないんだ」というのが初めて面談したときの第一印象。奇抜な格好で敬語も使えないギャルでしたが、外見や学力で判断しないと感じた唯一の大人でした。本心では私の見た目に驚いたそうですが、対等に接してくれたんです。
坪田先生はとてもニュートラルな人で、印象に流されず、常に物事やその人の本質を見ようとする人でした。当時の私は学年ビリの成績で全国模試の偏差値は28。普通の大人ならネガティブな部分ばかり目につくはずなのに、先生は「君、伸びしろしかないね!」と笑っていました。
私が「聖徳太子」を“せいとくたこ”と読んで「“子”が付くから女でしょ? “太っている子”なんて名前つけられて、気の毒だね」と言ったときには「なるほど、その視点には気付かなかった! さやかちゃん天才かも」って(笑)。普通なら、「高2で聖徳太子も知らないのか!」ってあきれられますよね。
ネガティブな部分も見えていたはずなのに、ポジティブな部分だけを拾ってくれる。だから、坪田先生の前では素直に何でも話すことができました。
先生との面談は、2時間にも及びました。話した内容は受験には全く関係のない元彼や友人とのエピソードでしたが、面談の最後のやり取りがビリギャルの再起のきっかけとなったのです。
「君、面白いなあ。東大って知ってる? 東大に興味ない?」
「えー、興味ない。イケメンいなさそうじゃん?」
「なるほどね(笑)。じゃあ、慶應ボーイって聞いたことない? 慶應大学はどう?」
「櫻井翔くん行ってるとこだ! アリ。行ってあげてもいいよ」
「よし、君なら大丈夫。現役で慶應大学に行こう!」
あとから知ったんですが、坪田先生は面談の最後、必ず同じ質問をしていたそうです。「東大興味ある?」と。ほとんどの生徒が「いやいや、東大なんて無理です」と答える。「無理だ」と答えなかったのは私だけ。直感的に「この子は伸びる!」と感じたそうです。「自分はできる!」と本人が信じているか否かが、そのときの学力なんかよりも合否を分ける、と先生は言います。
一歩踏み出す勇気が大きな可能性に
慶應大学現役合格という目標ができてからは、とにかく猛勉強。坪田先生との特訓も合わせると、1日15時間は勉強しました。これまで遊んでばかりいた私がなぜあの量の勉強を自らするようになったかというと、「6割マルが取れるところから始める」という先生の方針にあります。
高校2年の私の学力は、小学4年生レベル。つまり、6割マルを取るためには小4のドリルからスタートしなければなりませんでした。当たり前ですが、小4レベルであればスラスラ問題が解けます。そして、とにかく先生が褒めてくれる!
「こんなに分厚いテキスト、普通の子(小学4年生は)1年かけてやるんだよ。君はこれ、2週間で終えちゃった。やっぱり天才じゃない!?」って。小学4年のドリルを高校2年生が解いているという点はさて置き、褒められるとうれしいわけです。「やっぱり私、天才なんだ!」と、エンジンがかかった状態のまま楽しく学べていた記憶があります。
「できる!」という感覚を得ながら勉強することができると、「もっと成長したい!」と前のめりになります。ものすごい速さで小学5年、6年…と進んでいき、気付いたときには偏差値が40も上がっていました。
坪田先生との受験勉強で学んだ鉄則は、難しすぎることはやらないということ。これは「i + 1」(アイ・プラス・ワン)という学習の原則で、自分の能力よりもほんの少し難しいことに挑戦し続けることで高い学習効果を生み出します。
高校生が小学生まで戻って学び直すというのは、なかなか勇気の要ることかもしれません。けれど、できないまま進めばもっと分からなくなるだけで「やっぱり、勉強ができない」「勉強が楽しくない」と感じてしまうことになります。そしてそれが、自分の能力の低さだという間違った認識につながるのです。
私だってもしあの時、高校2年生だからといってそのレベルの勉強から始めていたら、翌週には塾をやめていたと思いますね。「やっぱ無理。全然分かんないもん」って。できないものは嫌いになる。当たり前ですよね。
自分が解けるレベルまで戻り、一段ずつ上っていく。実に地道な努力ではありますが、確実に成果の出る学習法だと思います。
もちろん、私がビリギャルから慶應現役合格を果たしたのは、必死に勉強したから。けれど、それを可能にしたのは「絶対に大丈夫」と信じてくれる坪田先生が伴走してくれたからだと思っています。
そして、“できるか、できないか”ではなく“やるか、やらないか”が大事だということを学びました。何の根拠もなしに挑戦する前から「難しそうだから、やめておこう」と諦めてしまうのは、もったいないことです。当時、私より学力がずっと上の人ですら「慶應は無理」と信じて挑戦しませんでした。本当だったら、私より可能性があったはずなのに…。
「できるかもしれない」と一歩踏み出す勇気が、どれだけ大きな可能性につながるか。このことをたくさんの人に知ってもらいたいという思いが、ビリギャルとしての講演活動につながっています。
「どうせ無理」という言葉は可能性を狭めるだけ
ビリギャルのように、“落ちこぼれ”というレッテルを貼られる子どもは多くいます。
そもそも、“落ちこぼれ”とは一体何なのでしょうか。その器を勝手に決めたのは大人であり、生まれつき落ちこぼれだと思っている子どもはいません。
大人の何気ない一言が、子どもの人生を大きく変えてしまうかもしれないということは私たち大人が自覚しておくべきことです。
ある高校生から、こんなメッセージをもらいました。
「ビリギャルを見て大学進学を目指したいと思っていますが、進路指導の先生から『リスクが大きいからやめろ』と言われました。やはり、無謀なのでしょうか」
私の講演後、わが子にこう話す親御さんを何人も見ました。
「あなたにはどうせ無理。ビリギャルの子はもともと頭が良かっただけで、あなたが同じことをできると思わないでよ」
「リスクが大きい」とか「どうせ無理」と話すその根拠は、何なのでしょうか。ビリギャルを知って「自分も頑張ってみたい」と立ち上がろうとする子どもたちの可能性をつぶすのは、何のためでしょうか。こんなふうに大人が言い続けていれば、子どもたちはどんどん自信を失くし、挑戦することが怖くなるのは当然です。
わが子の芽を摘まないで。信じる気持ちが子どもを伸ばす!
どんなことにも「やってみなきゃわかんないっしょ!」と飛び込める子は、自己肯定感が高いです。そしてそういう子の周りには、心理学でいう「ピグマリオン効果」といえる環境があることが多いのです。
ピグマリオン効果/ゴーレム効果
ピグマリオン効果とは…
親や教師などから期待されることで学習者の成績・成果が上がる現象。
ゴーレム効果とは…
親や教師などから期待を得られないことで学習者の成績・成果が発揮できない現象。
人は、期待されればそれに応えたいと頑張れるものです。当時の私の周りは、「ゴーレム効果」ばかりでした。しかし、母と坪田先生だけは、強烈な「ピグマリオン効果」だった。もし、この二人が「確かに今から慶應は無理かもね…」というようなネガティブなことを一言でも言ったら、私は慶應はもちろん、大学はどこにも行っていなかった自信があります。
父の言いなりとなり選択権のなかった弟は、高校生のときにグレてしまい野球からも逃げ出しました。今は二児の父で立派な社会人になりましたが、当時の弟は「俺なんて…」という発言ばかり。このときの弟を見て思ったのは、自己肯定感がなくなると自分のビジョンが描けなくなるのだということ。
では、自分のビジョンが描けなくなってしまった子の自己肯定感を再構築するためには何が必要か。それは、“対話”だと思うのです。
「あなたはこうすべき」と、主語がYou(あなた)になっている「Youメッセージ」でなく、「私はこう思うんだよね、なんでかっていうとね…」と、主語をI(私)にして理由と願望を伝える「Iメッセージ」で話しかける。すると、子どもの方もIメッセージで話しやすいのです。
Iメッセージのキャッチボールをたくさんしてあげてください。そこで、強固な信頼関係が築けます。子どもは、このプロセスで自己肯定感を育みます。この「何でも言えて、絶対安全な場所」があることは、子どもにとってとても大きなことなのです。
そして、「この子のために何かしてあげよう」というのではなく、わが子がどうやって人生を切り開いていくのかを見守ってあげてください。家族はチームではありますが、チームとしてのゴールと個人としてのゴールは違うはず。子どもが自分の力で歩いて行ける力を育むこと、見守り、信じることが、大人が子どもにしてあげられる唯一のことなのではないでしょうか。
「あなたなら大丈夫」と大人が信じ、見守ること。これが、子どもの自信を取り戻す起点になるのだと思います。
<取材 濱岡操緒>
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小林さやか/1988年愛知県生まれ。慶応大学卒業、聖心女子大学大学院修士課程修了。坪⽥信貴著『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應⼤学に現役合格した話』の主⼈公ビリギャル本⼈として脚光を浴びる。自身の経験を生かし、教育現場でのインターン活動や全国各地で学生や保護者向けのセミナー、講演活動を行う。ビリギャルのアフターストーリーをつづった『キラッキラの君になるために ビリギャル真実の物語』(マガジンハウス)も話題。2022年秋にはコロンビア教育大学院に入学予定。留学日記は自身のnoteでつづっていく。 【Twitter @sayaka03150915】【小林さやか公式ウェブサイト】