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ソクたま会議室
2021.06.18
テーマ: いい先生ってどんな先生?

子ども一人ひとりの存在を絶対的に認めることができているか、問い直してみよう/哲学者、教育学者・苫野一徳

苫野一徳

『「学校」をつくり直す』『教育の力』などの著書や教員・一般向けの講演、セミナーを通し、これからの教育のあり方を提言する哲学者・教育学者の苫野一徳さん。学校教育の本質、現状と未来をふまえた上で苫野さんが考える「いい先生」とは?

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「それでいいんだよ」と言ってくれた先生に救われた

子どもの頃から哲学的な少年で、小学1年生の頃から、真剣に「(自分は)なぜ生きているのだろう」「なぜ生まれてきてしまったのだろう」などと悩んでいました。

周りの友達が当たり前のように夢中になるゲームやアニメに全く興味をもてず、読書の毎日で、手塚治虫さんの『火の鳥』『ブッダ』がバイブル。必然的に友達がいなくなるわけです。

その苦しさが少しずつ大きくなっていた小学3年生の時、担任の先生の産休に伴う代替の女性の先生が、私を救ってくれました。

国語の宿題で、漢字練習帳に自分が読んだ本の題名などを使って例文を書いたら、それをとてもほめてくれたのです。文学が好きな先生で、「私もこの本好きなのよ」など本を通じたコミュニケーションが楽しくて。子どもながらに、自分の存在を認めてくれる安心感のようなものを感じました

高学年になると、友達関係でますます悩むようになりました。思春期も手伝い「周りの友達と同じ物に興味なんか持つものか」と意固地になる一方で友達がいない寂しさを感じ続ける中、担任だった男性の先生と、日記のやり取りが始まりました。

私が「流行りの漫画、アニメ、ゲームに全く興味がない。でも文学が好き」などと書くと、その先生は「それでいいんだよ」って、私が書いた文の5倍も10倍もの長さでメッセージを返してくれました

「友達がいなくて辛い」ということに対し、「(友達が)いなくてもいいんだよ」って言ってくれたことも本当に大きな救いでした。この二人の先生に出会えていなかったら、学校に行っていなかったかもしれません。

子ども一人ひとりの存在そのものを絶対的に認める

公教育の最も大事な本質は、哲学的には「すべての子どもの相互承認の感度と、自由に生きるための力を育む」というところにあります。

これをふまえると、教師の役割は、まず大前提としても、「子ども一人ひとりの存在そのものを絶対的に認める」ということにあるのではないでしょうか。

子どもたちがそれぞれ「自分はここ(学校)にいていいんだ」という自己承認ができる土台をつくることで初めて、お互いのことを尊重したり、みんなが対等な人間であることを理解でき、自分が生きたいように生きるための力を育むことができるようになっていきます。

そう考えると「子ども一人ひとりの存在そのものを絶対的に認める」ことができる先生を“いい先生”ととらえることはできます。先生方は、このことをどこまで本気で意識して子どもたちと関わっているのか。このことを学校現場や教員養成の場で、今一度問い直す必要があると考えています。

これまでの日本の教育は、先生が答えを持っていて「子どもたちがそれを取りに行く」というスタイルでした。しかしこれからは、「子どもたちが自分たちで問いを立て、自分たちなりの方法で自分たちなりの答えにたどりつく」という、探究型学習のスタイルになりつつあります

こうしたなかで先生に求められるのは、子どもたちにとって最も頼れる共同探究者・探究支援者。その大前提としても、「子ども一人ひとりの存在そのものを絶対的に認める」ことが大切なのです。

先生同士がチームを組んで、教育活動を探求していく必要がある

今の日本は学級担任制が一般的で、一人の先生が、自分が受け持つクラスのすべての責任を背負わされていることが多い傾向にあります。周りのクラスと比較されやすいため、何か問題が起こってもそれを隠そうとしたり、子どもたちを必要以上におさえつけてしまったりするケースも少なくありません。

先生一人ひとりのスキルをあげていくことはもちろん大切なのですが、それよりも、千代田区立麹町中学校や大阪市立大空小学校で実践している、複数の教員で児童・生徒を見守る「全員担任制」を導入するなど、 チームとして、“教員集団”としてアップデートしていくことが大切なのではないでしょうか。

学級担任制だと、先生が一人だけ。子どもの立場にたってみると、その先生とソリが合わなかったらその時点で学校が楽しくなくなってしまいますが、全員担任制のようなシステムになっていると、子どもは、自分と相性のいい先生を見つけることができるわけです。

先生も、「この子ちょっと相性悪いかな」と思ったら、別の先生に助けてもらうこともできます。あくまでも一例ですが、このような「チーム」を生かした教育活動を探求していく必要があると思います。

先生も保護者も自分とお互いを尊重し、「対話」を重ねていこう

先生方は、学校という職場の中でのコミュニケーション(対話)が圧倒的に不足していると感じます。

明治時代の「学制」公布以来、約150年間、「同じことを同じペースで、同質性の高い学年学級制の中、出来合いの問いと答えを勉強させる」というベルトコンベア式の公教育システムの中でがんじがらめになり、先生自身にも、「人に迷惑をかけない」「何事も自分で解決する」といった思考が根づいてしまっている

当時と今では、時代が全然違います。困ったときは声をあげて、周りの先生に頼ればいいんです。

「声をあげることができますか?」
「声をあげられる風土が、学校にありますか?」
「教育とは、学校とは何でしょう?」

このような、教育や学校の本質をど真ん中に置いた対話の機会を意識的につくっていくことが、これからの学校教育には大切だと思います。

また、保護者の方々は、学校の応援団だと思っています。だからこそ、先生だけでなく保護者も交えて、対話の機会をつくっていく必要があります。

先生と保護者、また子どもたちも一緒に、「何のための学校か」「どういう学校であって欲しいのか」「子ども達にどう育って欲しいのか」「自分たちはどんな親や教師でありたいのか」など、青くさい“根っこ”の話をする機会をつくっていきませんか。

対話を重ねる中で少しずつ、「じゃあこういう協力関係が築けるかもしれないね」「ここは必要ないよね」などが言えるようになっていきます。

保護者と先生が互いに信頼し合い、いいスパイラルを回すきっかけをたくさんつくっていくことが、真の意味での「子どもが自由に生きるための力の育成」につながっていくのではないでしょうか。

<取材・執筆/長島ともこ

                         

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苫野一徳

哲学者・教育学者・熊本大学教育学部准教授・熊本市教育委員。全国で、教員・一般向けの講演やワークショップ、セミナーなどを多数行っているほか、軽井沢風越学園の設立に共同発起人として関わっている。著書に「教育の力」(講談社)「勉強するのは何のため?――僕らの「答え」のつくり方」(日本評論社)「「学校」をつくり直す」(河出新書)などがある。

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