悩みながらも前に進もうする先生の姿に子どもは安心と信頼を感じる/瀬戸SOLAN小学校校長・横藤雅人
横藤雅人
「グローバルシチズンシップの育成」をポリシーに愛知県瀬戸市に誕生した「瀬戸SOLAN小学校」。校長の横藤雅人さんは、教員としてさまざまな試みをしてきただけでなく、教員養成も行ってきました。「瀬戸SOLAN小学校」では教師の業務軽減などにも取り組む横藤校長が語る「いい先生」とは?
学校現場を見て先生を諦める学生がいる現実
「瀬戸SOLAN小学校」へ赴任する前、私は北海道教育大学で5年間、教員養成をしてきましたが、入学時には教員を志望する学生が学部の9割近くいても、実際に教員になる学生は5割近くまで落ち込みます。
その要因のひとつが教育実習でした。学校で学級崩壊の現場や教員の疲れ切っている様子、保護者がクレームを言ってくる様子を目の当たりにして、「自分には無理だ」と思う学生が少なからずいるのです。学校に元気がない。これは非常に私は大きな問題だと私は思います。
ただし、先生たちは非常にがんばっています。がんばっているんですけど、うまくいかないし、限界があります。
例えば、公立小学校の授業の様子を思い浮かべてください。子どもたちが算数の演習問題を解いている間、先生は子どもたちの様子を見て回りますが、そのうち、解き終わった子どもが出てくると、残りの授業時間はその子たちにとって”ただ待つだけの時間”になってしまいます。本来なら、小学校の授業は45分ですが、その子たちには40分、35分、30分かもしれない。非常にもったいないと思うんです。
学校に元気がなくなっている原因には、先生の資質、育ち、それまでの経験が邪魔をしている場面もあります。ですが、何といっても、1クラスの人数が多い。そして、先生たちのやることが多すぎて疲弊しているというところがあります。
子どもに寄り添える独自の働き方改革
上記のような課題を解決するために「瀬戸SOLAN小学校」では、1クラスの人数が26人です。さらに、日本人教師と外国人教師が2人常にいる「バディ担任制」にしており、思う存分子どもに寄りそった教育を試みています。
その結果、わが校で見かけるのは、ある子が本を見ながら気軽に先生と本の内容について議論をしている様子です。このように子どもたちと関わることができるのは先生が多いからこそですし、そこにほかの子が加わってきて議論が広がっていくこともあります。子どもに寄り添い、子ども主体の教育を進める環境が整っていると思っています。
また、先生の業務の中でも結構時間がかかる集金業務や保護者向けのプリント配布をオンライン化したり、出欠席や子どもの体調管理もオンラインで行っています。ICTを活用することで、随分と業務の軽減ができています。
そのほか、職員室はフリ―デスクで先生同士がたくさんコミュニケーションをとっているのでしょっちゅう笑い声が響いていますし、先生たちがイキイキとしています。
もちろん、「どうしよう!」「大変だ!」と頭を抱えるときもありますが、それは「本気で子どもに寄り添おう」「もっとやろう」と思ったら出てくる当然のことで、すごくいい状態ですよね。私も参加しますが、先生たちが何人かで一緒に授業を作ることもあります。
子どもにとって人生のロールモデルになれるように
こんな風に先生たちが楽しく働く姿を子どもたちに見せることも、先生の役割のひとつだと思います。
私が先生たちによく伝えるのは、ドイツの教育学者・ディースターヴェークの『進みつつある教師のみ人を教うる権利あり』という名言です。
このディースターヴェーグの言葉を使い、「子どもに寄り添い、子どものことを知ろうとし、『自分が教えようとしている内容は、本当にこれで正しいのだろうか』と常に振り返り、『こうしてみたら良かった』と手応えを得ていくような先生になろう」ということを話します。
試行錯誤しながらも前に進みつつある先生は、子どもにとって「こんなふうに生きていくのだ、学んでいくのだ」という人生のロールモデルのひとつになります。「本当にこれでいいのだろうか」とか、「もっと別の方法があるのではないか」と葛藤しながらも、悩むことすら前向きに捉え、「自分はまだまだだけど、何か楽しいな」と上機嫌で子どもの前に立っていてほしいと思っています。
真の意味で子どもに寄り添える“いい先生”へ
私は、ほかにも「子どもたちへの優しさや気配りというのは、入口と出口がある」ということも先生たちに伝えています。
入口というのは、子どもたちに学ばせたり、体験させている今のことです。出口とはその学び、例えば小学校教育の成果がうまく反映させられたときのことを指します。
今、子どもたちに何かをさせるとき、「やりたくないからやらない」という子がいるかもしれません。その意見を認めることこそ自由を与えているように感じるかもしれませんが、「やらないこと」を認め続けていると、その子の経験の数が減って、体験の場(入口)がないまま小学校を卒業することになります。
ですが、入口がなければ出口はありません。出口は小学校を卒業するときかもしれないし、思春期のときかもしれないし、はたまた成人した後かもしれません。そのときに、「あのとき、やりたくないと言ったけど、『やってみよう』と背中を押してもらってよかった」ということを、懐かしく温かい気持ちで思い出してもらえる先生がいるとしたら、それは”いい先生”ですよね。
“子どもに寄りそう”ということの意味を表面的に捉えて、子どもに必要以上にへりくだってしまったり、むやみに子どもの意見を尊重したり、子どもとの関係を何よりも大事に考えてご機嫌を取っても出口の尊敬は勝ち得ません。傲慢にならず、謙虚な気持ちを持ちながら、入口ではきちんと規律を教えることも必要です。
子どもに寄り添うということは、情緒的な話ではありません。子どもが悩みの中で先が見えなくても、もう一歩前に進むために一緒に頑張ろうとする営みだと思います。そして、そのように寄り添った結果、子どもや保護者からの安心や信頼を得ることができる“いい先生”になれるのだと思います。
瀬戸SOLAN小学校校長。小学校の管理職を10年務めた後、母校である北海道教育大学で教員志望の学生指導を5年間経験し、全国で講演活動も多数行っている。著書に『子供たちからの小さなサインの気づき方と対応のコツ』(学事出版)、共著に『学力向上アイデア事例集』などがある。趣味は30年以上続け、指導員の資格も持つ太極拳。