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ソクたま会議室
2021.05.25
テーマ: いい先生ってどんな先生?

教壇というステージに立つ先生には輝いていてほしい。そして子どもたちの個性を輝かせてほしい/フリーアナウンサー・政井マヤ

政井マヤ

プライベートでは3児の母である、フリーアナウンサーの政井マヤさん。誰しもが抱く“先生とはこうあるべき”という考えに、正解はありません。先生自身が“先生”を楽しむこと、子どもたちにとってはこれが一番大事なのかもしれません。

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先生には、子どもたちの容赦ない視線がずっと向けられている!

「いい先生とは?」と思いを巡らせてみると、私は自分がいかに恵まれていたかをつくづく感じました。

公立の小学校、中高の女子校、そして大学に至るまで、それぞれの時期に多くの素晴らしい先生方と出会いました。逆に、“良くなかった”先生を思い出すことができないほどです。

子どもにとって、先生は親の次に大きな影響力がある存在だと思います。

また、親子は常に双方向ですが、先生と生徒の関係は多くの時間においてお互い一方方向。先生は全体に対して教え、生徒は一方的に先生を観察している。基本的に退屈な学校にあって、教壇というステージに一人立つ先生に否が応でも興味が行ってしまう。

そう思うと、先生とは何と大変な職業なのでしょうか。何十人という、子どもの真っ直ぐかつ容赦のない視線がずっと向けられているのですから…。

しかし、そんなうがち過ぎな目で見ても、ありがたいことに私が出会ったのは皆、尊敬できる魅力的な先生ばかりでした。

「いい先生」で思い浮かぶのは、小学校時代の型破りな担任

私が出会った先生の中で、特に異色だったのはM先生。小学3年の時の担任で、30~40代くらいの男性教師でした。シニカルで厳しく、一方で自然や音楽を愛する複雑なキャラクターの先生でした。

先生の机にはいつもトランペットやバンジョー、どこかの国の珍しい打楽器などが置かれ、休み時間だけでなく、生徒が勉強しているときまで気ままに演奏している先生でした。そこだけをイメージすると「何て楽しそう!」と思うかもしれませんが、先生の虫の居所次第ではその楽器に触れると、時に鉄拳が飛んでくる。そんな先生でした。楽器に触る際のルールがあったのかもしれませんが、そこは思い出せません。

休み時間も職員室に戻ることは少なく、教室で楽器を鳴らしながら見るともなく、でも実はしっかりと子どもたちを観察している先生でした。

天気と先生の機嫌の両方が良い日には、授業をせずに近くの裏山に行きたっぷり2時間、木登りの時間にしてくれることがありました。

また、教室に備え付けられたテレビで『サウンド・オブ・ミュージック』や『アドベンチャーファミリー』(都会暮らしだった家族がロッキー山脈の麓で生活する冒険物語)といった映画を流してくれることもありました。映画は、テストの時間が半分くらい過ぎたところで「解き終わった者から見て良い」という面白いルールでした。

授業中の雑談や脱線が多く、教科書があまり進まないので学期末に駆け足で終わらせていたように記憶しています。その内容も、「そこまで子ども相手に話して良いの?」と思うくらい率直な話が多くありました。良くも悪くも、M先生は私たち生徒を子ども扱いしていなかったのだと思います。

そして率直だからこそ、そこにうそがないことは子どもながらによく分かりました。

私はそんな先生を少し恐れつつも、その破天荒な様を誇りに思っていました。また、先生の自由さゆえに学校から怒られはしないかと心配してもいました。

そんなM先生に、褒められたことがありました。理由は、仲間外れにされていた子に私が声をかけたから。その背景を先生が分かっていたことにも驚きましたし、私の小さな勇気を見ていてくれたこと、そのご褒美にとくれたのがクワガタの幼虫であったことも驚きました(笑)。

虫は苦手でしたが勲章のようにもらったクワガタが羽化したときはうれしく、これ以降、私はカブトムシより断然クワガタ派になりました。

“皆と同じ”ように、“真面目”で“きちんと”していることが良しとされる教育現場にあって、またそのお手本のような先生が多い中、型破りなM先生は忘れられない先生であると同時に、「いい先生」で一番に思い浮かんだ人です。小学校の早い時期に、この先生に出会えたことに感謝しています。

M先生の自由さは小気味良く、「人生はもっと何でもありなんだ」と思わせてくれました。建前や体裁といった表面的なことよりも、もっと大事なことがあることを教えてもらったと思っています。精いっぱい真面目を装いながらも心の奥底ではもっと自由を求めていた私にとって、大きな救いを感じる存在でもありました。

今でも時々、M先生のことを思い出します。勝手な憶測ですが、硬直的な日本の教育現場ではM先生のスタイルは難しい部分もあったのではと思うことがあります。

M先生は、いわゆる“良い先生”ではなかったかもしれません。けれど、私にとってはとても良い、素晴らしい先生の一人です。

社会全体の意識や環境が「いい先生」を生む

私が思う「いい先生」は、広い視野と柔軟な考えを持った人です。M先生に通じるところがあるかもしれません。

日本の学校教育には、とても閉鎖的で硬直的な側面があると感じます。一人の親として願うのは、狭い世界で子どもが苦しんだり追い詰められたりしないような広い視野を持った先生であってほしいということ。

時代の変化が激しく、見通しも立たない社会に出ていく子どもたちのために、詰め込みと抑圧ではなく、個性を認めながら“生き抜く力”・“考えぬく力”を伸ばしてほしいと思っています。

もちろんそれは簡単なことでなく、学校だけに任せることではありません。家庭と学校・先生が同じ目標に向かって協力していく必要があります。そうした高いゴールを目指した教育をしてもらうためにも、先生たちが学びやすく、また働きやすい環境を早急に整える必要があると思います。

先生への投資こそが、未来を担う子どもたちへの投資になると思います。

親は、“先生を信じる”ことも心得ておくべき

保護者となって「いい先生」を考えると、どうしても望みが高くなってしまいます。

子どもが尊敬できて親しみを持てて、授業が面白く、締めるところは締めながらも厳しすぎない。子どもたちの良い部分を伸ばしてくれて、明るく優しく、元気な先生…と切りがないほど。

でも、いろいろな先生に出会うことで、子どもも社会勉強をしていく。子どもたちには、さまざまな個性を持つ先生に出会ってほしいと思っています。

そして、親も完璧でないように先生も人間です。だからこそ、それぞれの先生が持つ良い個性を存分に発揮してほしいと思います。そして、同じようにクラスにいる子どもたち一人ひとりの良い個性を見て、輝かせてほしいと思います。

保護者として悲しくなるのは、先生がクラスや子どもたちのことを否定して叱ってばかりいる時。もちろん注意は必要なのですが、同時に良い面もしっかりと見つめてあげてほしいと思ってしまうのです。

先生が悪いところばかりにフォーカスする減点主義になると、子どもたちも互いに厳しくなり、クラスの雰囲気が一変します。先生自身が寛容さを見せることで、子どもたちのお手本になってほしいと思います。何より、先生に否定され続けた子どもの傷は、あまりに大きいと思うからです。

また、何か問題があったときに子どもの心に寄り添おうとしてくれる先生は、とてもありがたく感じました。逆に、先生の側からの一方的な決めつけと価値観で話をされることには疑問を感じることがありました。

何が違うのか考えてみましたが、きっと子どもの心の声を聞こうとする耳を持ってくれているか、信じて見守る目を持ってくれているかでしょう。

これは、保護者が先生と接するときにも同じことがいえるのかもしれません。

教育は、信頼関係がないと成り立ちません

先生の話を心を開いて聞き、まずは信じる。信頼関係の先にこそ、良い教育が成り立つと思います。

親が、先生としっかりコミュニケーションを取ることが大切なのではないでしょうか。コミュニケーションに問題が生じてもそこに誤解がないか、行き違いがないかを丁寧に心を開いて話し合う姿勢が大事なのではないでしょうか。

子どもは、親の反応をよく見ているし影響されやすいものです。子どもの前で不用意に学校や先生の批評をしないことも、親が気を付けたいところです。

一方で、子どもが抱えている問題が深刻な状況のときは、学校や周りへの体裁ではなく子どもを守ることを最優先に行動することも必要だと思います。

政井マヤ

1976年メキシコ生まれ神戸育ち。2000年にフジテレビに入社、アナウンサーとしてニュース番組やバラエティ番組などを担当。2007年にフジテレビを退社後、フリーアナウンサーに。2014年には「日メキシコ国交400年親善大使」に任命。Eテレ「高校講座・世界史」にレギュラー出演中。 政井マヤオフィシャルサイト http://mayamasai.com/  政井マヤInstagram @masai_maya_official

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