教育は未知にあふれている

ソクラテスのたまご

ソクたま会議室
2019.04.14
テーマ: いい先生ってどんな先生?

諦めずに見守り続けられる先生こそ子どもを成長させることができる

諸葛 正弥

諸葛 正弥

産業の発展のため集団生活における適応性、規律性、従順さを徹底して確立されてきた日本の教育。しかし、画一的な従来の教育を受けてきた中でも「よかった!」と思える先生に出会ってきた方はたくさんいるのではないでしょうか。具体的に何ができる先生が“いい先生”なのか教育研修なども行う諸葛正弥さんが考察します。

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分かりやすい授業ができるのがいい先生の条件?

一般的に教員研修では、「分かりやすい授業をできるようになりましょう」「生徒とのコミュニケーションを大切にしましょう」「授業準備をしっかりやりましょう」といわれることが多いようですが、まずは授業方法論に関わる技術を磨くことが“いい先生”への第一歩なのかということを考えてみましょう。

 

生徒の学力を向上させたいと思う教師は、生徒の習熟度や興味関心などを考慮して授業の中身を研究するようになります。そして、生徒との歯車がかみ合うような展開をしていくために生徒を日々観察してコミュニケーションを図り、生徒理解の度合いを高めていなければなりません。

 

さらに、どれだけ分かりやすい授業の展開を考えても、生徒自身に聞く姿勢が整っていなければ、伝わる割合は激減します。ですから、学習する空間をどのように形成していくか、という点にも心を配る必要があり、それが学級経営を考えるための土台となっていきます。

 

そう考えると、教員研修でいわれる「分かりやすい授業をできるようになる」という視点も追求していくことも“理想の先生”に近づくことができるのかもしれません。

 

 

生徒にとって都合の“いい先生”もいる

「分かりやすい授業をできるようになる」ことが“理想の先生”への近道になりそうとは述べましたが、それがそのまま“いい先生”なのでしょうか?

 

その考察を深めるために、一つの視点を加えたいと思います。それは誰にとってのいい先生かという視点です。

 

分かりやすい授業をする先生というのは、一見、生徒にとっていい先生のように感じますが、そもそも先生という仕事に就く方は多くの場合、エゴグラムで言うところの「NP(nurturl parent)」=養育的な親心のような面が高く出る傾向があります。簡単に言えば親切で優しく、世話を焼く傾向にあるということです。

 

ですから、分かりやすい授業の先にかゆいところにも手が届き、生徒が一切困ることがない授業を目指してしまいがちなのです。

 

決して悪くはありませんが、一歩間違えてしまえば生徒が考えなくても済む授業になる危険性を含んでいます。分かりやす過ぎる授業は、生徒の思考を奪い「分かった」にはなるが「できた」という達成感を与えられない可能性があります。

 

生徒が自分の力で試行錯誤し、泣きながらもがんばる姿を見守り、壁を乗り越えた喜びを共有する面ももたなければ、生徒は自分の力で生きる力を身につけていくことはできないのではないでしょうか。とすれば、分かりやすい授業ができる=いい先生とは単純に結論付けられないと思うのです。

 

非常に厳しい言い方をするのなら、単に分かりやすい授業だけを志向することは、生徒にとって都合が良い先生で、先生にとっても気分の良い先生ではあるけれど、結果として生徒の成長にとっては良い先生ではなかったという結果に陥り兼ねないのです。

 

 

“見守る”と“放置する”を間違えない先生

前述の通り、生徒を成長させるためには、与えるだけでなく、生徒自身の主体的な活動を見守り、達成感と成功体験を与えられることが重要です。しかし、“見守る”ことと“放置する”ことの違いを間違えてはいけません。

 

“放置”とは文字通り、生徒に勝手な活動させておくことで、その状況を見ているようで見ておらず、声掛けのタイミングも見逃し、危険な状況に陥りそうなときに止められる距離感も維持できていないことです。生徒の主体性を重んじるという大義名分を掲げながら、実は、放置しているだけというケースは少なくありません。

 

一方“見守る”というのは、声掛けを行うタイミングを逃さない距離感を維持できているということです。

 

生徒自身が何かに挑戦しようとしたときに背中を押し、何かを達成したときに共に喜び、時には何かに失敗したときに励ましてあげられる、そういう伴奏者のような存在でいることが見守るということなのではないでしょうか。そして、そういう先生がいるから、自主的に挑戦ができて達成感を自信に変えられるのです。

 

 

 

成長を押し付けず見守り続けられるか

しかし、生徒を成長させる先生=いい先生、と結論付けてよいのでしょうか。

 

というのも、現実にはすべての生徒ががんばり続けられるわけではないからです。そういう生徒にとって、単に「がんばれ」というメッセージを送るだけでは精神的な重圧にしかなりません。

 

クラスの中で埋もれていたい子も、目立ちたくないという子もいます。彼らにとって“成長”を押し付ける先生は脅威な存在となることでしょう。

 

だからといって無視をして放置することは生徒にとって多くのチャンスの芽を摘んでしまう、見逃してしまうことに繋がってしまいます。私自身の経験でいうのなら、そういう生徒のことも見守って手を差し伸べ続けることが大切だと感じています。きっかけを与えられそうなときには静かに声をかけ、仮に差し伸べた手を払われても受け止め、また次の機会を待つ。生徒が成長するきっかけを潰さないよう諦めずに根気強くタイミングを待つことも先生には必要なのです。

 

以前、2年間、私の授業やクラスの話題に一切入ろうとしなかった生徒が、突然変わって急成長を遂げたことがありました。その生徒が卒業する際にくれた手紙は「初めは先生のことが嫌いでした」という一文から始まりましたが、その後には「あるとき、先生の質問に答えてもいいかな、と思って答えたことが自信になり変わりました」と書いてありました。そして最後に「ずっときっかけを与え続けてくれてありがとうございました」と結んであったのを読み終えたとき、涙が止まらなくなったのを今でも忘れられません。

 

ですから、目先の成長を目的として追いかけるのではなく、生徒自身が変わろうとするチャンスを見逃さないように見守り続けることもいい先生には大切なのではないかと思います。

 

 

個々にとっての“いい先生”を追求できる先生

ここまで考察したところいい先生とは見守ることができる先生といえそうです。しかし、最後に誰にとってのいい先生かという点をもう少し掘り下げたいと思います。

 

1人の先生にできることは限られています。そして万人に好かれ、すべての生徒に支持される先生というのは稀有な存在です。みなさんの中にも過去のいい先生が存在したように、その人にとってのいい先生というのは多種多様に存在します

 

生徒が10人いれば10通りの個性があるという中で、いい先生になれるのか、という問いは永遠のテーマであり、マニュアルのようなものでまとめられるものはありません

 

ただ、ひとりでも多くの生徒にとっていい先生となる確率を上げていくための努力は可能であり、その方向性のひとつが先に述べた見守ること、分かりやすい授業を追求するということなのでしょう。

 

ですから、結局のところ目の前の生徒にとってのいい先生とは?ということを探究し続けようとする先生こそがいい先生なのかも知れません。

 

諸葛 正弥

諸葛 正弥

大手進学塾で長年指導を行ない、2007年に「イラスト図解でわかるプロ教師力アップ術55」(明治図書)を出版。教育委員会・各種学校などで教員研修を行ないながら、私立中高一貫校の学校改革などを手掛けている。また、「ロボット教室」や「学習教室まなび-スタイル」の運営、「よい子を育む家」の監修なども行ない、教育について幅広く活動を行っている。

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