学校には知識を獲得し、対話をする機会が平等に与えられている/弁護士・鬼澤秀昌
鬼澤秀昌
教育に精通し、一昨年より東京都江東区のスクールロイヤーも務めている弁護士の鬼澤秀昌さん。学生時代から教育系NPO団体に参加し、多くの教員や子どもたちと出会ってきた彼が考える学校の意義とは? 自身の学生時代を振り返りながら話す、学校という場が提供する誰もが平等に学べることとは?
学校の役割は、子どもたちがそれぞれ可能性を伸ばす機会を保障することと、社会の担い手を育てることだと思います。教育基本法5条2項では義務教育の目的を「自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われる」という形で定めています。
私が学校教育の中で育てていく必要があると思っているのは、自分の興味関心に沿って学び行動する能力と、他者と対話する能力です。学校にはいろんな子がいて、子どもは様々な知識を学びながら自分の世界を広げるとともに、学校生活の中で他者との違いを知り、大人のサポートを受けながら多様な人間関係を経験していきます。
私の場合、「学生時代の勉強が好きだった? 楽しかった?」と言われれば本心から楽しかった、と言い切るのは難しい気がします。そんな私が勉強(知識を新しく得ること)を心から楽しいと感じはじめたのは、大学4年時に社会起業家(社会課題の解決のための事業を立ち上げた人のこと)支援の活動を知ってからです。
さらに、司法修習中に、「子どもたちのために頑張っている大人たちをサポートする」ことが自分のやりたいこと、社会的に担っていく役割だと確信してからは、NPOや教育について学ぶことが苦でも努力でもなくなりました。
また、NPOの活動に関わったり、弁護士としての活動をしたりしていく中で、様々な立場の方々と接する機会も増えるようになりました。その中で、自分としては理解し難い考えを持っている人でも、良く話を聞くと、その人の環境や経験が背景にあり、そのような経験を前提に考えれば実はその人の考え方も理解しやすくなることに気が付きました。
どんどん世界が多様化・細分化し、相互理解が困難になってきている中で、対話を通じて相手を理解する能力はますます重要になってきています。
最終的に、自分の興味関心に沿って学び、行動するためにも、他者との調整・対話が必要になってきます。このような自分の軸・スキルを持って行動できるようになれば、学校から卒業したとしても、また、海外に出たとしても、社会の中で自分らしく生きていくことができます。その意味でも、学校でこれらの能力を育むことは重要なのです。
逆に言えば、これらの能力を育むことができるのであれば、必ずしも形式的な「学校」にこだわる必要はないと思っています。ただ、学校には知識を獲得し、対話をする機会がたくさんあり、どの子にもがその機会を得る権利を与えられているのです。
東京都出身。司法試験合格後、教育系NPO法人の常勤スタッフとして勤務。その後、大手法律事務所を経て、2017年に「おにざわ法律事務所」を開業。第二東京弁護士会・子どもの権利委員会、日本弁護士連合会・子どもの権利委員会、学校事件・事故被害者弁護団などに所属。2019年4月より東京都江東区のスクールロイヤーも務めている。